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優しく受け容れ合うまどい(円居)【高森草庵の営み-3】

北木 延子

「父がキリストを遣わされたように、キリストが私たちを遣わす」
「それは、存在の在り方の問題です。信仰に身を任せるとき、その存在の在り方が人々の神との対話を誘い入れ、草の根に根付いた根源的な息吹きの世界が新しい歴史の方向性の拠点となるのです」
と、師は言われる。
高森のそよ風に吹かれ、生かすいのちに生かされていることを、自覚すると、有り難くて、有り難くて、この在り方を、人々と分かち合いたいと自ずと思うのだ。
高森のお聖堂に坐ると底しれぬ深みに導かれ、深い沈黙へと招き入れられるが、次第に現代の抱えているさまざまな痛みが伝わり人々の根源的なまどいを求める心がひびいてくる。

あの頃(筆者注:1962~65年の第2バチカン公会議において、母国語による典礼が許可され、典礼聖歌もそれに準ずるという決定がなされ、カトリック作曲家として、日本語の典礼聖歌作曲の依頼を受けた頃)、私は、この、ミサ全体の設計を思い巡らしていた。
それは簡単なことではなかった。
簡単に決められる人もいるが、私は何日も何日もそのために使っていた。
そんなある日、ある外国人の司祭が私に「〈主の祈り〉をまず作曲してほしい」と語りかけて来た。その日帰ってから私は、ミサ全体を考えている私が、この作曲から入っていくのはまことにふさわしいことだと気づいたのであった。
キリストの弟子たちが「わたしたちはどう祈ったらいいのですか」と訊いた時、キリストが教えられたため(注:マタイ6章、ルカ11章)この名がついている。即ち、主キリストが教えてくださった「天の父」に向かっての祈りなのである。
(中略)
この祈りと対話句の一部との楽譜は、「典礼聖歌」合本に入れられる前に6回印刷されている。最初の2回は謄写版刷りで日付もないが、3は1968年、4は69年、5は71年、6は74年、そして合本は80年に出ている。
この間、対話句、即ち、ミサの式次第も、出版のたびにことばが変わり、それに従って旋律も変えなければならず、正に生みの苦しみであった。

高森のお聖堂に坐ると、底しれぬ深みに導かれ、深い沈黙へと招き入れられるが、次第に現代の抱えているさまざまな痛みが伝わり、人々の根源的なまどいを求める心がひびいてくる。
“現実”: 目まぐるしい勢いの貨幣経済至上主義の中、社会問題は、経済成長により解決されるものと信じられ、資源の確保のためにあらゆる分野で環境破壊がなされ、この弊害に心を向けることなく経済成長に伴うシステム作りに右往左往している。
生きとし生けるものの生態系と共存するという、根源的なところへ向かう精神を取り戻さなければならない。
「高森のような貧しいまどいの姿」は、このような社会の歩み行く方向とは全く逆で、現代文明が私たちに何をもたらし、何を問うているのか、本当の生き方と幸せはどういう在り方なのかと、彼岸からの息吹きによりその誘いに促されてもっとも大切な気付きが与えられる「窓」となっていると思うのだ。
それは訪れた方々が皆、それぞれに承知しておられる。

今、ここに在る高森の姿こそ、世界の人々に必要とされているところ。
そして、この地にまでこだまする”現代の混沌”も、「本源に帰る」ということへのうめき声のように聴こえてくる。
本来の面目を生きるにはその存在が、彼岸からの風を受け取り単純、透明になることによって言いがたい優しい力が与えられ、イエス・キリストの遺言を胸に遣わされた者としてそれぞれが旅に出て、この現代社会のもたらす弊害に杭を打ち、いにしえより、世界のあらゆる人類の祖先が培ってきたありがたい世界へ共に戻って行くような働きが求められると思う。
すべてのものを、存在の根として、純化するという高森のことほぎの風を伴いながら。

(師を偲ぶ思いを綴って結びにしたい)

 秋の終わりのころであった。
 霊に導かれ、神を求めた一人の男が
 高森の土にかえった。
 土手には名も無い花がひっそりと
 ひっそりと咲いていた。
 小さな男であった。
 小さな、小さな息を
 そっと神に返した。
  -そよ風やまずー