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初源を掘る生き方の新しさ(なべてに開かれる)【高森草庵の営み-2】

北木 延子

高森草庵との出会いによりイエズス・キリストに従うということが、あからさまになったと同時にキリストの教会の現状と現実が眼前にせまりきた。
二十世紀最大の出来事であった第二バチカン公会議(1962-1965)を聖霊が導き、現代世界において教会が過去になかったほどの挑戦をうけ、変革が求められたのだ。
それは、教皇様を頂点としたピラミッド型に表現される教会の見方を超えて、教会の「本来の姿」を再発見しよう、教会を問い直そうと言われた。
教皇ヨハネス23世は、 「今まで、教会に芥が満ちたので『本来の素顔を出しましょう』『再出発しましょう』」
と、述べられた。

何と単純でありながら核心をついたことばであろう。
多くの信じる者たちの間で、実践的に変革が進むと同時に混乱・離反なども生じたが、時を経て次第に進むべき方向が示されつつあるとき、すでに本来の素顔をもつ高森の存在があったということの喜びは大きかった。
公会議で開かれた教会、地方教会、の在り方に重点を置いた指針が示されたこともうなづけた。

ある方が、高森草庵での接心に参加されたとき禅堂で師は、
「自分の重さをかけて坐んなさい。
重さとは抽象的なものではない。
自分の弱さと惨めさだ。重さを父なる神へ注ぐのだ。それをするのはイエズスだ。自分が呼吸するのではない」
と、言われた。
具体的にある悩みを背負って生きていた弱く惨めな姿が、目の前の白い壁に叩きつけられるようにしてありありと浮かんできた。
自分の重さをかけて自分の惨めさの上に坐ることが許されているのがありがたくて涙がボロボロ出てきた。
坐っていて呼吸するのが苦しくなると、 「呼吸しているのは自分ではない。キリストがあなたの中で呼吸しておられるのだ。沖へ漕ぎ出せ」
と、師の声が身体の中に飛び込んできた。
接心の終わった後、皆で清掃し、庭でいろいろな物を火にくべてたき火をした。
本物の火を見て、アシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」の中の「兄弟なる火」を思い出した。
高森草庵では、火も草も花も木も星も水も空も風も太陽も闇も、兄弟として姉妹として我々の前に現れてくるのだ。
接心に参加していたある方が言われた。
「存在の根底でゆさぶられるような、神の無量の心をそのまま受け取る。神の無量の愛は、いよいよ私に迫り来るのです」
と。

また、他の方は次のように言われた。
「カトリックの信者でもなく信者にもならなかった私だが、高森には何度も足を運んだ。静かな木立の中の草庵は、街の中で目にするカトリック教会のイメージとかけ離れていた。キリスト教は西洋から伝えられた宗教なのに西洋を感じさせない草庵の佇まいだ。小さな御聖堂で正座して坐禅するような御ミサに、最初は、戸惑いを感じたが深みに沈みこむような祈りの場なのだ」
と。 草庵には田畑があり、清らかな水の湧き出る泉があって、労働と祈りが一体となり、ミレーの「晩鐘」の絵を見るようだった。
「こういう所を私は求めていた」
と、最初に訪問したときの感動を私は忘れられない。
御ミサの後でいただいた食事のおいしかったこと。
焼き立てのパン、手作りのジャム、草庵産の野菜と、皆と談笑しつついただくことは、ほんとうに「施されるのです」と。
高森でのまどいは、いのちの根源を示し、生活の中に根付いたイエズス・キリストの御慈しみと御あわれみとを肌で感じ、溢れるような喜びに満たされるので、それを他と分かち合いたいと思わずにいられない。
それは自ずからの溢れである。

高森には、また、日本各地から、そして世界の各国からも、いろいろな方が訪れる。
フランス人、アメリカ人、カナダ人、イギリス人、インド人、中国人など。
皆一緒に鎌を持ち、草刈りをし働き、汗を流して労働の喜びを分かち合うのだ。
開かれたこの場は、限りなく間口が広く、すべての人々を受け入れ、悩める人、傷ついている人、道を模索している人、自己と対峙したい人、去るもよし、来るもよし、という雰囲気は何か?
ここでは、自分自身でありうるような生活の根拠が存在する。
地盤がある。
だから、自分自身のありがたい十字架を負い、ほんとうの必要に対し、皆同じように自由に協力し合い、本来の姿に出会う。
そこで、それぞれが選択する役割をもって、己れの場でイエズスのあからさまなる世界を次へと繋ぐのだ。
公会議の文書の「現代世界憲章」の冒頭の「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、とりわけ貧しい人々と、すべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある」がこだまする。