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インマヌエルの祈り(真命山のメッセージ-1)

マリア・デ・ジョルジ

真命山とは、熊本県玉名市郊外の山中にあるカトリックの草庵。
聖ザベリオ宣教会の宣教師フランコ・ソットコルノラ神父が、1987年に創建しました。
キリスト教霊性の日本文化内開花と、諸宗教対話を目的として数人の司祭・修道女が祈りと生活を奉献しています。 (写真は、真命山の本堂)
日本仏教諸派の中で最大の信徒数を擁しているのは、皆さんご存知の通り浄土系仏教です。
その教えによれば
「人がどのように幸せを求めたところで決して悪業のめぐり合わせから自力で解脱することはできない。  ただ阿弥陀仏の慈悲のはたらきによってできる」
と説かれます。

阿弥陀仏はすべての人を救おうと誓われ、しかもその誓いが成就しないかぎり
「決して自分は涅槃という永遠の安らぎには入らない」
と、誓われた阿弥陀仏の慈悲の功徳によって、たとえどれほどの極悪非道な人でもいつかは必ず救われると信じられています。
人間の側から言うと、救いをえるための条件はただ一つです。
阿弥陀仏の救済の願いを信じて「南無阿弥陀仏」(わたしは無限の慈悲、無限の光明であるみ仏に帰命し礼拝します)と称えるだけです。
浄土系の信仰では、この念仏だけが唯一救いの道として知られています。
個人としても集団としても声に出し、時には歌声にして念仏を称えます。
浄土真宗においては、称名念仏に先立ち、始祖親鸞聖人の心をよく説明している文としてしばしば歎異抄が朗読されます。

さて、フランコ・ソットコルノラ神父は、真命山の共同創立者ともいえる生命山シュバイツァー寺の古川泰龍師の協力をえて真命山霊性諸宗教対話センターを創立しましたが、あるとき古川老師が自ら信じる称名念仏に匹敵するキリスト教的行として「インマヌエル」の称名をフランコ・ソットコルノラ神父に提案しました。
それが契機になり、その時から真命山では「インマヌエル、アーメン」の称名宣言、つまり「インマヌエルの祈り」がはじまりました。
具体的に述べますと、この称名宣言は次のように行われます。

まず、称名宣言に先立ち、ヨハネによる福音書第一章「序文」を朗読した後、しばらく静思し、引き続き使徒パウロのローマ人への手紙10:8-13を朗読します。
次に鐘の合図で、メシアの別の名「インマヌエル」(イザヤ書14:7、マタイ福音1:23参照)と「アーメン」をつづけて称えます。
毎日、午後の作業を始めるに先立ち本堂でこのキリスト教的念仏といえば分かり易いかも知れない「インマヌエル、アーメン」を称名宣言します。

これは、いうまでもなく浄土宗系の称名念仏とは異なります。
「インマヌエル」は「メシア」即ち「救い主」を指し、コトバの意味は「神はわたしたちと共におられる」ですから「インマヌエル」の称名宣言は、「イエスは救い主である」と救いの信仰を宣言することと「神はわたしたちと共におられる」という信仰を生きる喜びの宣言なのです。
ともあれ、称名念仏と称名宣言の双方に共通しているのは極めて瞑想的であり、符号性があることです。
事実、真命山で実践している「インマヌエルの祈り」の特徴的構成要素、形式、雰囲気は、時折真命山を訪れる仏教者にも馴染みがあり理解しやすいようです。