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冠婚葬祭の求めと諸宗教対話(真命山の実践-2)

真命山記念誌『真命山の二十五年―対話と祈り―』より抜粋

真命山で結婚式を挙げることを望む方々は、かなり有ります。
それと共に、比較的に多い要望は、死者を記念する弔いです。
キリスト者ではない家族からキリスト信者であった故人のために祈りを求められることも、キリスト信者である家族がキリストの信仰に入らないで故人になった家族のために祈りを求められることも、しばしばあります。
真命山は諸宗教対話センターとして、ごく自然に、そのような宗教が入り混じった家族の間に見られる宗教の違いの壁を超えて、なお異なる宗教を大切にしながら、故人のために鎮魂の祭儀を求める人々の要望に応えています。

わたくしたちの最近の経験によれば、諸宗教対話を阻害するのは、相対主義的言動、つまり時折、カトリック教会の著者の中にも見られるような実質的もしくは原理的に多元主義を主張する言動・著作活動です。
自分の信仰を疑いながら対話する人に接すると、対話の相手をする諸宗教の人々の多くは、自分と異なる宗教の信奉者と交流する希望を阻害されるように感じるのです。
このようなことは、真の対話の具体的実践には当てはまりません。
かえって、異なる信仰の信奉者と対話する人は、その前提として、自分の信仰を確信する中で他宗教信奉者との出会いを受け入れ、平静で友好的な行動をし、自分の信仰が衝突の原因にならないように注意し、さらに肯定的な真の出会いになるように希望するのです。
この「難しい課題」は、人と人類の心の中に正しい筋道をつける真理の力を基盤にして成立します。
対話の歩みは、愛、友情、相互の尊敬、宗教の自由の権利に関する明確な肯定的考え、種々の異なる宗教的表現を尊重することによって道が開けます。
真命山は、対話に関する自らの任務を遂行することと、キリスト教カトリックの信仰を明確に宣言することの双方を両立させるよう常に心がけてきました。
このような目標を実現するためには、本来、自分の信仰を単純な生活をもって実践する恒常的共同体を継続的に維持することが必要です。
対話は、宗教上の問題を切り離した「研究」でも、諸宗教の問題の単なる話し合いでも議論することでもありません。
対話は、それぞれ、自らの信仰を生きながら相互に自らの信仰を証することなのです。