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ミサ聖祭と茶道(真命山のメッセージ-2)

マリア・デ・ジョルジ

真命山は、カトリック信仰に基づく共同体ですから、当然、ミサ聖祭が日常生活と活動の中心です。 (※真命山については、こちらを参照。写真は、本堂のミサ祭器具)
真命山は、カトリック信仰に基づく共同体ですから、当然、ミサ聖祭が日常生活と活動の中心です。

1968年、日本司教協議会はミサ聖祭の儀式を日本建築様式の畳の間で催行するとき適用される儀式規則書を公布しました。
真命山は、この儀式規則書に従いミサ祭儀の構成、典礼の流れに茶道の形式、作法、所作を適用することにしました。
ここで、茶道を「茶の道」の視点から述べようと思います。

「道」は、修行、克己、目的に向かう心の歩みを比喩的にしかも端的に表わしています。
「茶道」は、知人の間で友情を祝し、共に軽い食事と一杯の茶を喫するだけという一見表面的とも受け取られそうな出合いと繊細な饗宴の一形式にすぎないのですが、実に長年の修行を必要とします。
茶道は、非宗教的雰囲気の中で行われても、仏教、神道、キリスト教的文化などの中で行われても、事実上、茶道の内面に含まれている宗教的要素が評価されるという意味で、まさに霊性の真骨頂を示す一形式です。

キリスト教と茶の世界の間には深い相関関係があると思わせる節がたくさんあります。
その証拠は、イエズス会の宣教師が十六世紀に記した書簡の中に見られます。
特に日本の宣教師たちの間で有名な典礼担当者アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1539-1606)の書簡にそのことが多く示されています。
ヴァリニャーノは、イエズス会の視察者としてアジア地域に長く滞在し、その間、日本の視察を三度も実施しました。
そしてその都度、職権により、いわゆる「環境順応法」を指示しています。
ヴァリニャーノは「典礼書」の中で、宣教師たちに対して、すべての修道院に「茶室」を作り、客を茶でもてなすことを心得ている宣教師を少なくとも一人配属するよう勧告しています。

文化史の研究者たちは、まさにキリスト教が千利休に影響を及ぼしたことを明らかにしています。
利休は、十六世紀最高の茶人であって、茶道を極限まで洗練し、完成しました。
利休が生まれ育った堺の街は、当時、西洋との活発な通商活動拠点でしたから、京都でもそうであったように、利休と宣教師たちとの間に直接接触があったことについて疑問を挟む余地はありません。
利休の妻も娘も、親しい弟子たちも、特に高貴な出身の高山右近などはカトリック教徒でした。
そういうわけで、茶の作法の決定的構成要素には、明らかにミサ典礼の影響が見られます。

しかし、わたくしが、ここで端的に明示しようと意図している点は、茶がもつ深い霊性的調和です。
それは、聖体祭儀と結びつく「平和の杯を共に飲む所作」です。
茶道の心を漢字で表現すると「和敬清寂」です。
もてなし奉仕する人の役割を果たす利休の心の深みに宿っていたこれら四つの霊性的価値は、「一期一会」の生き方によって、つまり、過ぎ行く一瞬、各邂逅の不可逆性、時に関する峻厳な認識に基づく生き方によって育てられるのです。
茶人は、忠実にこのような内省的生き方をつづけながら、茶道を極めます。
福音と聖体祭儀に「共通する性質」をもつ茶道の霊性的価値は、いうまでもなく最後の晩餐を想い起させます。
聖体祭儀のメッセージは、イエスと弟子たちとの親密な関係、師であるイエスが弟子たちの足を洗って教えた奉仕の精神、行為そのものが意味し要求する心の清さ、素朴、謙遜、そして十字架という最高の試練によって試され「ただ一度すべての人のために」自分を与え尽くした神からの恩恵(ロマ6:10参照)なのです。