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近隣の皆さんとのクリスマスとお正月(真命山の実践-1)

真命山記念誌『真命山の二十五年―対話と祈り―』より抜粋

真命山を開いた最初の年の暮れに、三人の少年が徒歩で登ってきました。
村の子供たちと一緒にクリスマスの祭りを祝うように願い出るためでした。
日本でクリスマスはよく知られていますし、祝われますが、それはただ楽しくケーキや贈り物を交換するだけです。 しかし、少年たちの願いはまともでした。
わたしたちはこの申し出を快く受け入れました。
そのことがあってからは、毎年、村の子供たちのクリスマス会はつづいています。
本堂に馬小屋をしつらえ、村の子供たちを迎えてクリスマスを祝うのです。
日が沈むときに合わせて丘の上にある本堂までローソクを灯して行列します。

そして福音書のキリストご降誕のところを読み、クリスマスの本当の意味を説明します。
そのあいだ、クリスマスの典型的な歌を歌い、そのあとは、いうまでもなく、クリスマス・ケーキを食べ、お遊びをし、歌を歌います。

元旦には、日本のお正月の伝統に従って、村や近くから、多くのかたがたが新年の幸せを願い祈るために真命山に登ってこられます。
この機会は、蜻浦の皆さんや近隣の皆さんとのよい交流の場になります。
個人的なお話し、近親感を感じていること、人々がこの真命山を大切に思っていること、悩みごとの相談、ただのお参りなど、いろいろな動機で皆さんは山へ登ってこられます。

「この山についてお話を耳にしたことがある」というだけの理由でお越しになる方々もいます。
ここは、山の上から見る自然の景色が美しいだけではなく、ここに「キリスト教寺院」があること、そしてそこで祈り、訪れる人々にキリスト教の信仰の証をし、また他の人々の宗教を大切にすることを耳にしたことが来山の理由なのです。
これらすべては、開かれた「諸宗教対話」の前提であり、対話促進の準備でもあります。
まさに諸宗教対話によって、わたしたちは多くの異なる宗教の信者の皆さんとともに、それぞれの信仰の恵みを分かち合いながら、将来に向かって、多く持っている人は、更に多くを与えることができる、いや与えねばならない責務を感じるという精神的豊穣の道を開拓することができるのです。
わたくしたちの希望は、いうまでもなく、将来のいつの日か、私たちが持っている大切な宝を、つまりキリストを信じてキリストとともに生きる喜びという宝の全部を蜻浦の愛する皆さん、近隣の愛する皆さんと分かち合うことです。