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「契約」を言うとき「契り」「誓い」を併わせ用いたい

「契約」という現象は、ユダヤ教と西欧キリスト教において、中核をなす重要な現象です。
人が神と関係させていただくために、神から「契約」することの要望が届き、「約束し合おうではないか」との申し出が差し出さます。
神(イエス)からの「人間の側への」申し出が届きます。「私が愛を差し出すので、それを受けることを約束してほしい」というのが中心です。
神はそこで、「私は、それを約束る人々を必ず助け、私の愛の中に招き入れることを誓う」という態度でいてくださいます。
そこで人の側からのもっとも相応しい態度は、誠心誠意でお受けし、お望みに添うことを固く約束することです。
ユダヤ=キリスト教における「契約」ということにおいて、神様(イエス様)との間の相互の「愛の約束」が根幹を形づくるのです。

このように二者が互いに好意を寄せ合い、双方向で約束し合う素晴らしさが生まれています。
啓示の宗教において、神様と人とがこの関係し合いに入ります。
以上の内容について、日本の従来の文化では、神の啓示が限りあるものでしたので上述のような人格的な≪神―人関係≫は認知されて来ませんでした。
日本人には、崇高な神について「人格・位格」を認知する方向が伸びませんでした。
その方向ではなく、感性的に神の神聖さ・崇高さを神秘的なものとして感じ取り崇敬して来ました。
そこで神に向かう生活を堅固に守り抜こうとするとき、あるいは願いをかけるとき、善行に徹しよう(神によみせられよう)としてそれを神に「誓い」「契り」を結んだのでした。
人として、尊い方に対して、まごころ込めて誠心誠意の約束をすることは、日本でも豊かな営みの積み重ねが存在しました。
そのような約束の仕方をある場合は人間以上の尊い存在に対してまた、あるときは人間に対して「契る」「誓う」と言いました。
「契る」というときには、こちら側とあちら側の双方向からの約束し合いが生まれています。
そして、ことば遣いは、「契りを交わす」「契りを結ぶ」などとも言われました。 また、「誓う」というと、こちら側の心構え・態度が中心で、「誓いを立てる」「固い誓い」「とわの誓い」などと用いました。
大切な相手に対して、まごころ込めて誠心誠意約束する行いを、日本の古来からのことば遣いを生かし「契る」「誓う」と表すと、啓示された神に対する、心構え・態度の尊い感じが生き生きと伝わります。
教理的に、意味内容を明確にする必要があるときは、「契約」「誓約」と言うことも必要です。
それとともに、約束する人の心構え・態度の、真剣さ・いちずさを表したい場合は、積極的に「契る」「誓う」を、用いたいです。 たとえば、

  • 受洗のときに神様と契りを結んだので、ミサとゆるしの秘蹟を心から大切にします
  • 良い環境で育てられたので、大学卒業のとき、奉仕の心を忘れない事を神様に誓いました

などというように、「契約」の意味内容を込めながら、日本人に響きやすいことば遣いをして行きたいものです。