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「恵み」の語に加えて「ご恩」も併せ用いたい

神様の素晴らしさを感じることと「恵み」を受け、喜ぶこととは切っても切れない関係にあります。
健康が与えられている恵み、おいしい食べ物が日々届いてくる恵み、暮らしの場が快適になる自然からの恵み(太陽、水、空気、木々や植物たち)このような感覚的領域の恵みのみならず「摂理」としてはからっていただいている恵み、秘蹟や典礼を通して霊的な力を育てていただいている恵みなどという、一層大切な恵みもいただきます。
以上のような多くのお恵みを、心の深みにおいて味わうと、人は神様の「ご恩」を感じます。
これほど私のためを思って配慮してくださるので、そのご配慮とお働きから、人は「ご恩」を受けたと感じます。

神様からいただく良いものを一般的には「恵み」と言って捉えています。

けれども、神様のお心尽くしについては、「ご恩」という古来日本人が使い慣れたことばを使う方が、いっそう事柄の真実を表わす面があります。
日本では、古来、立場が上の豊かな人の側から差し出されるものを受けて、「ご恩」を感じて来ました。
この感じ取り方がまさに、神様との関係においても当てはまります。
是非ともこの感じ取り方を生かしたいものです。
「ご恩」という言葉が、「恵み」と異なるところは、どういうところでしょうか?
「恵み」も「ご恩」も、立場が上の豊かな側から下の乏しい側に、分け与えられること。
そういうことを表します。

その共通性がありながら、「恵み」は関係が一般的であるのに対して、「ご恩」は、その授受において、与える側が相手のことを思う度合いが深いです。
与える側がその相手を深く思いやるので、受ける側も与え主に対して、感じ入る度合いが大きいです。
「ご恩」を感じるのは、そういう思いの深さがにじむ場合です。
「恩返し」したくなるのは、受けた側が与え主の心の働きの深さに感銘を受けているからで、ただ「恵み」という場合よりも、個人的に深く大切にされたことを感謝する思いに至っています。
さて、先述のように、感覚に現れにくい深みにおいて、神様は、人間に多大な支援を送ってくださっています。御子が数々の苦しみを受けた後に十字架に掛かられたこと、それがあまたの恵みの源となっています。
このことを、十分に感じ取ることは必要です。このような感じ取りを育てるならば、キリストの「ご恩」に感銘を深め、そして「ご恩」に感謝するところに進みます。
ただ「神様の恵み」(「キリストの恵み」)という言い方をするのに止まらず、「神様のご恩」「キリストのご恩」と表したくなります。
このように感じることを目指し、神様との関係を育てることが求められます。
そして、その感じ取りが育つとともに、「ご恩」の言葉も、いっそう頻繁に用いることとなるに違いありません。