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からだ言葉の力(3):神様(キリスト様)の「笑み」「ほほ笑み」

キリスト様がほほ笑みを浮かべられたに違いないことは、福音書の報告から容易に推測されます。
ザアカイが、イエス様が来られたと聞いて「どんな人か見よう」とします。
しかし「背が低」くて見ることができないので「先の方に走って行き、そこをお通りになるはずのイエスを見るためにいちじく桑の木に登り」ました。
このような人々の行動が生じると、それには人一倍敏感なイエス様は、すぐに気付かれます。
そして「ザアカイ、急いで降りなさい」と仰います。
このおりにイエス様は、「ほほ笑んで」おられたに違いありません。
(ルカ19章:1節-10節)

「汚れた霊につかれた幼い娘を持つ」シロ・フェニキアの女性は、イエス様の力でこの霊を追い出してほしいとイエス様に直接訴えます。
イエス様の答えは「私はまず子供たちに満腹するまで食べさせよう。子供たちのパンを取って小犬に与えるのはよくない」というものでした。
そこで、この女性は、知恵を働かせます。
「主よ、ごもっともです。でも、食卓の下に居る小犬も、子供たちのパンくずを食べます」と申し上げます。
イエス様は、「それほどに言うのか。よろしい。帰りなさい。悪魔はあなたの娘から出て行った」と仰います。
女性の知恵のある言葉に、イエス様はやはり「ほほ笑まれ」たに違いありません。
(マルコ7章:24節-30節)

『福音書』を離れて神様を思ってみます。
空に虹がかかることがあります。
筆者の感じ取りにおいては、これは、神様が喜びをお持ちになって誰か具体的にその喜びの対象となった人を祝福するために虹を生み出されたと判断します。
きっと神様の喜びとなる具体的な人の善行があったので、それを祝福しようとしておられるのです。
(他の多くの人は、そのおこぼれをちょうだいして嬉しさを恵まれるわけです)
この虹を生み出しておられるおりの神様は、「ほほ笑み」ながらそうしておられると感じ取れます。
春先に梅がほころび、かすかで奥深さのある香りを漂わせます。
それに触れると人は、ふーと俗世の穢れを忘れることができる感じです。
この香りを届けてくださるおりに神様は「ほほ笑」んでおられるのではないでしょうか?

暮らしの中で、神様から届いていると感じられる素敵なものに触れて人がほほ笑む。
そのおりに神様(イエス様)の「笑み」「ほほ笑み」を感じ取ることは、まことに生き生きとした「神様との心の通い合い」になると思います。