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からだ言葉の力(2):【息・息づかい】

神様とたいへん近くにいる私たちですが、その神様のご親切やおはからいを、縁遠い親しみにくいものに感じているならとても残念なことです。
実際は、神様の存在も、そのご親切やおはからいも、たいへん身近かなものであり、親しみにあふれているものなのです。
その親しみに満ちた存在や、そのご親切やおはからいを、表せる一つのことばは、「息」「息づかい」です。
『旧約聖書』以来、私たちを親身になって助けてくださる聖霊を、「神様の息」と表すのが伝統でした。

私たちが暮らしの中で、神様の「息」「息づかい」を連想しやすいのは、自然現象に自分の心が響く場合でしょう。
よく晴れた美しい日に、林の中で静けさの中に身を置くようなときには、神様の「息をひそめるような」お心とご親切を感じることができます。
反対に、大風が吹き、うねりのような強い風が、町や村全体に唸るように吹いて通る場合には、神様の気迫に満ちた「息づかい」を感じます。
その他、そよ風が絶え間なく送られて来るおりには、神様が今まるで自分に温かい親切な「息づかい」でささやき続けてくださるように感じます。
好意に満ちていとおしんでくださる「息づかい」を感じます。

また、私たちは、人となられた神、すなわちイエス様の「息づかい」を思う時にも、そのイエス様との共感が深まるならば、神様の「息」「息づかい」を感じることとなります。
福音書の中で、イエス様の「息づかい」がよく感じられる場面があります。
まず、たいへん安らかな、静かな「息づかい」が幾つかの場面で感じられます。

  • ご降誕のとき。馬ぶねで眠っておられるありさま
  • 湖上の嵐のおりにも、舟の中で眠っておられる安らかな、静かな「息遣い」

次いで、激しい「息づかい」の場面もあります。

  • 神殿から商売人たちを追い出す場面
  • 悪霊を追い出される場面

うめくような、あえぐような「息づかい」をなさることもお有りでした。

  • ゲッセマニの園で祈りを奉げられたおり
  • 十字架を担ってカルワリオを目指されたとき
  • 十字架の上で苦しまれたおり

その他、イエス様が特別に「息づかい」を示されたお姿も、記憶しておきたいです。

  • マルコ7:34では、耳が聞こえず舌の回らない人の前で「深く息をつく」こととなります
  • マルコ8:12では、心の頑ななファリサイ人に対して「深く嘆息」されます
  • ヨハネ20:22では、弟子達に息を吹きかけつつ、「聖霊を受けなさい」とおっしゃいます

以上のイエス様のお姿や振る舞いにも、神様の「息」と「息づかい」が現れています。
私たちは、身近かに神様を感じたいわけですが、その「息」と「息づかい」を感じようとする道を通して、それを実現できます。
その道によって、しばしば、私に親しく深い思い入れをもって接してくださる神様を感じることができます。