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からだ言葉の力(1):【胸】

見えない神様ですが人はその神様と関係するために「神様の目」「神様の御顔」「神様の手」と「目」「顔」「手」の語を頻繁に用いて来ました。
このように神様を感じ取ったり神様について表現したりするのに、からだ言葉を用いることは大きな助けになります。
そして「目」「顔」「手」以外にも、からだ言葉を用いる領域を拡大して行くことができます。
父なる神とキリストの「思い」「考え」「ご意志」そこに、私たちキリスト者は、頻繁に関心を向けます。
それもそのはずです。
神様とキリスト抜きでの私たちの生活は、存在しないからです。
さらに、私たちは、神様(キリスト)のお考えとお望みに沿って生きたいのです。
伝統的に「み旨」「お望み」「ご意志」というようにそれを表現しています。

その表現の場面に、からだ言葉を活かすことは、効果が倍加します。
たとえば「キリストの胸の中の思いを感じ取って生きたいです」と、いうように胸の語を添えることによってキリストのお心がいちだんと私に近く感じられて来ます。
「キリストの胸中は、いかばかりであったことでしょう」と、感じ取るならば暮らしの営み方がずいぶん変って来ます。
当時の人の理不尽な言動や、惨劇に触れたおりのキリストには、「その胸が、張り裂けるほど」ではなかったでしょうか?

こういうキリストについての表現を、天のおん父についても当てはめてみます。
・・・・おん父への信頼を言うとき、ただ「信頼したい」というのではなく「神様の胸に委ねたい」と、言うときに心のひだや深みの鼓動が伴います。
さらに暮らしの中で選択の岐路に立つようなおりには「神様の御胸のうちを想像したいものだ」と、自らに言い聞かせる場合も同様の効果があります。
加えて「胸」の語は、自分の側の心(思い)そのものに当てはめて用いることも効果を高めます。
つまり「キリストの御ことばを胸に刻み付ける」とか、「拝領したご聖体を胸の中にいつまでも留まってくださるよう願い続ける」と言って、自分を鼓舞することができます。
このようにして私たちは、神様(キリスト)のお望みやお考えにいっそう寄り添った生活に向かうことができます。