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からだ・言葉を再評価して(1)【目・まなざし】

聖書では、神様が人間を大切にしてくださることについて「目を注ぐ」など「目」の語を用いることは、頻繁でした。
詩篇33篇18節には、「見よ、主はおん目を注がれる 主を畏れる人、主を待ち望む人に」と、あります。
神様に信頼しようとする人への神様のご好意や温かさが、よく伝わります。
詩篇66篇7節の「おん目は国々を見渡す」になると、統べ治めてくださるご意志がにじみ出ます。
さらに、詩篇31篇23節の表現になると、「恐怖に襲われて私は言いました。『おん目の前から断たれた』と」とあり、歌い手の思いは切実です。

敵の異邦人の残虐に会って恐怖の底に突き落とされた感じを表現し、親切な神様の庇護はもう得られないと、嘆いたのでした。
詩篇51篇6節の場合、「おん目に悪事と見られることをしました」とあるのは、親切な思いで見ていてくださるお方を感じさせます。
(そして、そのお方のお心を踏みにじったことを悔いる心が伝わります)

神が人のからだをまとってこの世にお住みになったのは、イエスです。
このイエスの場合、比喩としてではなく実際に肉眼でいろいろとご覧になりました。
ことにイエスは、人々のただ中に現れ、人々のただ中に身を置くことが多い生き方をされました。
ですからおのずと人々に「まなざしを向ける」こと、「目を注ぐ」ことが多いのでした。
そのイエスの「目」「まなざし」は、優しいものでした。
井戸のほとりで出会ったサマリアの婦人に対して、
ファリサイ派の人の食事の場で香油を注いだ女性に対して、
いちじく桑の木に登ったザアカイに対して、
その人をご覧になるイエスの目が優しく慈愛に満ちていたことは、あらためて言うまでもありません。

神が人に関わり、愛を示されるお働きを、「目」「まなざし」というイメージで、生き生きと感じ取ることができます。
神様は、ある時は、人間を探して人が心を向けるまで待ち続ける心で、人をご覧になります。
またある時は、人を養い育てるようなお心で、人の必要を見て取りお働きくださいます。
さらにある時は、人の美しい奉仕や献身ぶりを微笑みながらご覧になります。