物事と関わるのに、「自分の所有するもの」という感じ方は、極力遠ざけたいです。
この代の自分のいのちの営みにおいて、永続的に抱きかかえ続けたいというものは、ゼロなのがよいのは道理です。
なぜなら私たちにとってもっとも尊いのは、神様ご自身であり、神様以外のものごと(人をも含めて)は、必要な限り必要なだけ関わりをもち、あとは後ろに残して神様の方へと前進し続けるべきだからです。
目指している方向(つまり天の神の方向)に、心乱されずまっすぐ向かえるように、そして、神様のお心に適うように暮らすために、使用する物事や関わる物事を、その必要な時に必要なだけお借りして、用が済めば手放すのがよいです。
そうするならば、心は天の方へ、神様の方へと、妨げなしに向かって行けます。
自分の体についても、自分の能力についても、自分の地上の命についても、時間についても、そうします。 こうして自分の心を被造の世界に留めません。
また、自分の奉仕や努力で良い実りが得られた場合、その実りのための条件が整うことや、”場のお膳立て”に、どれほど神様が用意してくださった物事が役立っていたかを感じるようにします。
そして、その神様からの心づくしを思いつつ敬虔に、「お借りできた」ことに感謝するようにします。
良い奉仕・良い実りというものについても、ひたすら神さまの御栄えを目ざします。
「自分の栄え」というような方向には、断じて踏み込まないようにします。
こうして、私たちの暮らしのひと駒ひと駒で、神様と共に在る感じが得られ易くなります。