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多くの物事に対し親しみが湧く

物事へのこだわりが小さくなっている心、極力自分を開いている心、周りの人々を極力もてなしたいと望む心、こういう心で暮らす人に現われてくる一つの傾向として、いろいろな物事への「親しみの情」「親しみの思い」が湧く、ということがあります。

自分の暮らしにおいて触れ合う多くの物事から好印象を受けるようになります。
不快という印象が後退してゆき、好ましい印象が届いてきます。

たとえば、日々外出の際に履く靴。
いやな嫌いなところに履いて行くことが多ければ、靴まで気に入らなくなるかもしれません。
逆に、出掛ける先が、楽しみ・喜びの多いところであるならば、靴も親愛の思いで感じ取るものでしょう。

安らかな眠りをする人にとって、長年使用しているベッドやパジャマには親密な思いが湧くものでしょう。

メールのやり取りをするパソコンも生きる幸いをベースにして気持ち良く人生展開しつつ使う場合、親愛の思いで扱う道具となることでしょう。
「良いメッセージの運び役」として、ちょっとした「親友」らしさが湧いてくると言って過言でないかもしれません。

似ていることですが、外出の度に利用する旅慣れた鉄道にも親愛の印象が湧きます。
そして、その電車を折り目正しく運転する運転手さんにも同じように。
さらに、「良いメッセージの運搬役」である赤い郵便配達の自動車やバイク、そして郵便配達員にも同様に....。

さらに、「自然」に対して...花はもちろん、野菜や果実にも。
また、ときどきは風や雲や水にも。
また、小鳥たちや、蝶などにも。

アシジのフランシスコは、自然との独特な親密さを育てました。
自然を通して神様を賛美するわけですが彼は、自然の存在物を「兄弟」とか「姉妹」とか呼びさえします。
「太陽の賛歌」と名づけられた祈りにおいて、直接彼が「兄弟」または「姉妹」と呼びかけるのは、太陽、月、星、風、水、火です(そこには、「体の死」までも付け加えられています)。
「いとしい思い」「懐かしい思い」「心豊かになれるありがたさの思い」などが伴っています。

上述のこと全体が総合される方向で、「自分の町」に親愛の思いが生まれます。
さらにその親愛の思いは、自分が所属している「国」にも感じます。
そしてそれは、人類が暮らしを営む「世界」にも感じます。

多くの物事に親密になっていると、物事に丁寧に対処することは当然です。
....目の前に悲惨なありようとか、混乱したありようとか、険悪なありようが現われると、とても心を痛めます。
親愛感を濃くしているだけに、どうか「癒し」が届くようにと願います。

以上に述べて来た心のありようは、いつも自分の中の「悪」や「邪」を取り除こうと努めている人に達成されてきます。
日本の霊性の中の古典的なことばですが、道元禅師は「禅をならふとは己れをならふなり」と言いました。
いつも自分をより良くする努めにこそ打ち込んで、やがて心の風景が変わるものです。
「神様がすべてを大切にしておられる」という印象が、自分の心の中で濃密さを増すのです。