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仕事も暮らしも軽く担える

神様からの恵みを刻々受け、神様と響き合う目覚めのうちに生きるようになると、職務や暮らしの営みを「軽い感じ」で、やり遂げられるようになります。

物事にこだわらなくなっていますから、歩みを進める行く先へは、”広い道”が開けている感じがします。
ですから「踏み出すのがやっかいだ」という面が減っています。

仕事の内容や、やり方の選びも、暮らしの営みのまとめ方も、神様との響き合いを底流に保持しながらの歩みとなっています。
そのため、ずいぶんと自分の等身大に近く、無理の少ない歩み方をします。

ひとつ、ふたつ具体的な事例を取り上げながら、眺めてみましょう。

手紙を書く必要が生まれたとします。
それも社会的なポジションがかなり高く、また有能な方にお願いしたい事が出来、面談の機会を求める内容の手紙だとします。
このような手紙を書くとき人は、背伸びしたり、取り繕ったりしがちです。
しかし、十分に目覚めと気付きを恵まれ、聖霊に導かれる度合いが大きくなっていると、真実の自分のままで進めればよいと思え、この課題に対処し易くなっています。

伝える内容を心に描いても、さほどおおごとに思いません。
あいさつ部分や本体部分の言葉の選び方も、それを紙面に可視化する表し方も、あまり気取りませんし、また過度に体裁を意識したりしません。
こうしてわりあい、平易に郵便の発送を済ませます。

また、別の例を見てみます

人はある時は、多くの人々の面前で、何かの努めを果たさねばならない事態になります。
人前で事を果たすのは、たとえ緊張に無縁の人でも、いろいろと気懸りが多いものです。
その集まりに加わる人々の中に、“自分がどう受け取られるか懸念がある”、そういう参集者があることもあります。
また、自分の資料整備とか見解まとめが及ぼす影響についても、気遣わねばならない点はいくつか有るものです。
また、発声の仕方とか、達意のためのハード面の条件整備にぬかりは無いか、時間配分は大丈夫か、などの配慮が求められもします。
このような務めを果たさねばならないわけですが、ここでも暮らしの中で観想することを知る人は、この務めにさほど特別なものを見ません。
ふだん果たしている仕事と、同じ感じで受け止める傾向が強いです。
リキむことなく淡々と、しかし、丁寧に取り組んで、この務めも通常のものの一つのように果たし終えます。

“暮らしの中の観想者”は、神様の御手の働きを見ることが多くなっていますし、人々の好意を多く見るようにもなっています。
そこから信頼の思いが広がっています。
この信頼の心の広がりが、無駄な力を抜くために大きな役を果たして物事に向かうのに“自然体”を達成させます。
“自然体”であるならば、等身大の自分、真実の自分で、仕事に当たる傾向になりますし、暮らしへの取り組みも似たものとなります。

感情面でも、思い煩いは、少なくなっています。
自分の弱点を目の当たりにしても、あるいは、失敗が発生しても、あまりこだわりません。
このような、感情面でのさっぱりした安らかさが、日々の営みを「軽い感じ」にさせるのにまた、貢献してくれます。

こうして、仕事や暮らしの営みを「軽く担う」感じを恵まれます。
そして、神様に向かいたい思いが生き生きしていますから、日々「負い易い」「くびき」ないし「軽い」「荷」(マタイ11,30)を引き受けつつ、喜びがしばしば湧く中を歩んで行きます。