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連祷の効果を高めるあいだに「芯の祈り」を挟んで

キリスト教の祈りの道では、その長い歴史とともにいろいろな「連祷」が形作られて来ました。
そういう多くの「連祷」の中に、「自分のたどり着きたい目標を掲げてそこに達することを願う」類の「連祷」があります。
ここにその一つとして、大変内容の気高い「謙遜を求める連祷」(注1)をご紹介してみます。


心の柔和謙遜でおられるイエスよ、私の祈りを聴きいれてください。
尊ばれたい望みから イエスよ、私を救ってください。
愛されたい望みから イエスよ、私を救ってください。
祝されたい望みから イエスよ、私を救ってください。
敬われたい望みから イエスよ、私を救ってください。
賞賛されたい望みから イエスよ、私を救ってください。
人よりも重んじられたい望みから イエスよ、私を救ってください。
相談されたい望みから イエスよ、私を救ってください。
認められたい望みから イエスよ、私を救ってください。
卑しめられるのを怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
軽んじられるのを怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
ないがしろにされるのを怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
中傷されるのを怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
置き忘れられるのを怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
人の物笑いとなるのを怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
不公平を怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
無実の罪を負わされるのを怖れる心から イエスよ、私を救ってください。
イエスよ、お恵みによって、人が自分よりも尊敬されることを望ませてください。
イエスよ、お恵みによって、人が自分よりも愛されることを望ませてください。
イエスよ、お恵みによって、人がますます世の信望を得ることを望ませてください。
イエスよ、お恵みによって、自分が退けられ人が役立てられるのを望ませてください。
イエスよ、お恵みによって、万事において人が自分よりも重んじられることを望ませてください。
イエスよ、お恵みによって、自分の聖化に努めながら、人が自分以上に聖化されることを望ませてください。
イエスよ、このすべてのことを常に望むお恵みをお与えください。


この「連祷」の一行一行の質の高さは、敬服すべきものです。
そして、この高い質(レベル)を自分のものにすることは、誠心誠意長期間祈りを継続することなしには、達成できないことでしょう。
一行一行がきわめて優れているのです。 この連祷を通り一遍の祈り方で祈ることは、各行の内容の豊かさを身に付けることなしに表面をなでて通るだけに終わってしまいがちです。
そこで、次のように工夫してみましょう。

自分がすでに有している力強い短い祈りの助けを借ります。
その「力強い短い祈り」とは、自分が、もっと神様と親しくなりたい、神様に一致したい、という衷心の願いを自分が祈っているもので、それを取り上げるわけです。
たとえば、「神様愛します」というような祈り。
あるいは他に、「我が神、我がすべて」「聖霊助けてください」「神よ、ちからを」「神様、引き寄せてください」などです。
ここで、このような心の根幹からのうめきの声のような祈りを「芯の祈り」と呼んでみます。

この「芯の祈り」の後押しを頼みながら、「連祷」の気高い一行一行の水準に近づくことができるように(自分が引き上げられるように)求めるのです。
具体的には、次のようにします。
ゆっくりと一呼吸の間「芯の祈り」を一度唱え、もう一度繰り返します。
つまり、「神様愛します」であれば、これを一呼吸でゆっくり一回、計二回唱祈ります。

その後で、「謙そんを求める連祷」の最初の項目「尊ばれたい望みから イエスよ、私を救ってください 」をゆっくり唱えます。
ついで、また、二回「芯の祈り」を初回と同じように繰り返します。
そして次に「連祷」の第二行「愛されたい望みから イエスよ、私を救ってください」をゆっくり唱えるのです。

初めのうちは、祈りの言葉や内容が頭の中で錯綜するように感じることでしょう。
けれども、「連祷」のすばらしさに打たれていて、その内容が把握されていれば、短く簡潔な「芯の祈り」が間に入るだけですから間もなく祈りにリズムが得られてきます。

この祈り方においては、もちろん、「連祷」の一行一行が中心です。
間にはさまれる「芯の祈り」は、サポート役です。
心の深みに息づく「芯の祈り」にけん引されて「連祷」の水準の高みにまでたどり着かせていただけるようにと努めるのです。
意識の内容としていつもはっきりつかもうと努めるのは、「連祷」の各行。
「芯の祈り」は、心を前進させる励まし役のように間にはさみましょう。

なお、現代の私たちに役に立つ度合いの高い「連祷」的な祈りを以下にみっつ紹介してみます。
これらも上記の「謙遜を求める連祷」とともに用いていただければ幸いです。

  • 今 日
  • 今日、私の日記から「きのう」と「あした」を削除しよう。
    きょう、何が出来るかだ。
    今日、今日という日は二度と来ないと確信して、人生に立ち向かおう。
    今日、熱心に生きる最後のチャンスだ。
    私があしたの日の出を見られると誰も保証できない。
    今日、前進してゆこう。
    どのようなチャンスも無駄にせず、勇敢に。
    今日、いちばん貴重な私の「時間」を「人生」の価値を高めるために使ってゆこう。
    今日、私の生涯でユニークな一日になるよう、一刻一刻を情熱的に生きよう。
    今日、私の前に現れてくる障害物をのり越えてゆこう。
    成功できることを信じて。
    今日、肯定的な姿勢でほほえみを持ち、世界を変えてゆこう。
    希望と期待をもって。
    今日、平凡を非凡に生きよう。
    今日、私の未来を生み出すために、足を地に着けよう。
    現実を直視し、天の星のまばたきも感じて。
    今日、幸せになる時間を持とう。
    そして、人々の心に私の存在と足跡をしるしづけよう。
    今日、新しい世紀をあなたと共に始めたい。
    希望・喜び・誇りをもって。
    ほほえもう!
    よい今日と、よりよいあしたになるように!

    チャールズ・バス氏発信の回覧メールより

  • 今日だけ
  • 自分の人生の問題を一度で解決しようとせず、今日だけ、この日を生きるように努めよう。
    今日だけ、自分の態度に最大の注意をはらおう。礼儀正しいマナーを守り、自分以外、誰をも批判せず、誰かをよくしようとか、鍛えようとか思わないようにしよう。
    今日だけ、自分の時間から十分間、良い読書をしよう。体のために食料が必要なように、霊魂にも良い読書が必要である。
    今日だけ、誰にも何も言わずに良いことをしよう。
    今日だけ、自分がこの世においても、あの世においても、幸福になるために造られたことを確信し、幸せになろう。
    今日だけ、具体的な計画を実行しよう。おそらく、それを完全にはできないだろうが、それを書いてみよう。二つの災いに陥らないように注意しよう、それは急ぐことと、優柔不断なことである。
    今日だけ、断固として次のことを信じよう。たとえ状況がそうではないと示していても、神の良いみ摂理が、この世に他に誰もいないかのように、自分だけに向けられていることを。
    今日だけ、恐れないようにしよう。特に、美しいものを楽しんだり、良いものを信じたりすることにびくびくしないようにしよう。

    ヨハネ二十三世の十戒(夜に黙想するために)より

  • 微笑みを受けなさい
  • 微笑みを受けなさい。
    まだ一度も微笑んだことのない人に贈るために。
    太陽の光を受けなさい。
    夜の闇に閉ざされている所を照らすために。
    泉を探し出しなさい。 泥まみれになっている人がその水で洗えるように。
    涙の味をかみしめなさい。 まだ決して泣いたことのない人の顔を潤わせてあげるために。
    勇気を出しなさい。
    戦うことを知らない人の心を元気付けるために。
    命を見出しなさい。
    まだそれを理解していない人と分かち合うために。
    希望という光を持って歩み続けなさい。
    その暖かさを受けなさい。
    それを知らない人に与えるために。
    愛を見つけなさい。
    それをこの世界に伝えることができるために。

    マハトマ・ガンジー

注1

この連祷は、メリー・デル・ヴァル枢機卿(1865~1930)が作成したものです。
集会で公的に祈る連祷というより、個人的な信仰心から祈るのに適しています。
事実、メリー・デル・ヴァル枢機卿自身、自分が日々のミサを立てたあと、必ずこの祈りを捧げていたといいます。
日本ではあいにくあまり知られていませんが、欧米ではよく知られていて、この祈りを愛好する人々が多いようです。