「書く祈り」の3つ目の方法として、仏教でいう写経を取り上げます。
仏教では、仏教経典(多くの場合、般若心教)を書写することをいいますが、わたしたちはみことば(聖書)を書写します。
従来、『黙想や瞑想、念祷といわれる沈黙の祈りでは、黙想の対象や、知性、意志、記憶、想像、感情を、とのように働かせるかという、もっぱら、「頭」の中の心理分祈がとりあけられてきた』が、これらに対して、この書く祈りは、『頭抜きの瞑想法ということに』なります。
(引用は、奥村一郎「聖書深読法の生いたち」から)
手順として、変更の許されない絶対構成が存在するわけではありませんが、ここには一例を示します。
書く祈りは「行」です。
ですから、姿勢を正し、こころを静め、その中に身を置くことが必要です。
上手にではなく、早くでもなく、丁寧にします。
「一点一画、一字一句も疎かにせず、魂を込めて」という気概を持ってします。
「写経する」というこころ持ちよりも、「させて頂く」というこころ持ちでありたいです。
落ち着いた、清々しい気持ちになります。
「ありがたい」という気持ちから、自然に頭が下がるかも知れません。
何かしらに「アッ」と気つくことかあります。
みことばの意味を考えずに、一字一字に心をこめて筆写しているのに、突然みことばや、その他のことがこころに飛び込んできて、「アッ」と気づかされることかあります。
(その際は、その気づきについて、それを味わう十分な時間を持ち、感動とともに味わいを持続させましょう)
上記以外で、一般的に、写経による効果として以下のようなことが言われています。