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肌に触れる感覚世界に深まる

日本の季節の移り変わりの微妙さ。
そこから肌に感じる感覚も、どこまでも研ぎ澄ます可能性があります。

冬の朝の出勤時。
顔に触れる空気に鋭さや痛みがあった冷たさが、やや柔らいだといえば、真冬が過ぎたと感じます。
さらに季節が進みいち早く春を感じるのは、洗面のときの水がぬるんだと驚くとき。
木々が灰色のままでも、もう冬が去りつつあるのです。

冬や春、肌を包む陽光は嬉しいごちそう。
めいっぱい浴びていたいと思います。
この陽光も、真冬の日なたぼっこと、春のそれとは大違いです。
春になれば光の強さや暖かさは、肌を押す圧力があるとさえ感じられるうえ、うっすら汗がにじんだりします。

湿気が多い日本ですが、乾燥し過ぎた日々には雨降りで空気がうるおうのが、かえって心を落ち着かせてくれます。

空気の流れは、大きな規模であれば、「風」として感じます。
しかし、屋内でも、空気が流れています。
なるべく多くの機会にそれを感じ取りましょう。
部屋の中で、小さな隙間から漏れる空気の流れ。廊下を通う空気の流れ。 物に触れれば、或る物は意外に冷ややかでびっくり。
また、或る物には温められた余熱のぬくもり。
金(かね)目のものは、持ってみて重さに驚き、プラスチック類は、見かけに比べた軽さに驚きます。

人工の物にも私たちは、たえず肌の感覚を感じ取っています。
触れるのが、衣類であるか、本であるか、食器であるか、カバンか、電話機か、吊り革か、ソファーか。
それらひとつひとつの冷暖・乾湿・硬軟・滑らかか粗いかを感じて暮らしましょう。
またそれぞれの物のその時々に肌触りが変わることも、感じて暮らしましょう。
布に触れる機会も多いものです。
やさしく肌になじんで来る布もあれば、肌にきつい布もあります。
また、布は洗濯するしないで大きく変わります。
洗濯の後、カラカラに干された衣類を身に付けるとき、シャッキと肌に感じられる爽やかさ。
タオル類もまた、よく洗われよく干されたふくらみのある感じの豊かな気分。

食事のおりのテーブル。
うっかり、何かの水気のものが飛び散ったあとに触れる不快さ。
テーブルがきよめられているのに触れる快さは、嬉しくなります。

外出して。
道を歩くおりに、足の裏に伝わる道の表面のありさま。
強く反発してくるようなアスファルトやコンクリート。
たまに、土の露出する所に踏み込んだときの柔らかさ。
繁華街の商店街や公共施設などでは、滑らかにし過ぎかと思われる滑りやすさに足元がかえって不安になります。
(人は地面を蹴って歩いていますが、その人間の足の営みに険しく反抗するような石類と関わり続けるならば、人の心も柔らかさをそこなわれると思えます)

足元がステキで楽しくなるのは、秋の山道。
計り知れない量の落葉が続く道を歩くときの弾力。
そしてまた、カサカサと踏みしだかれる乾いた葉のこわれる感じ。
肌に感じられる感覚は、人に強い影響を与えます。
この感覚領域においても、多くをしっかりと感じ取ることを重ねて人生に深まっていたいものです。
この領域の感覚の深まりの有無によって、人生そのものへの感じ取りや、人の心の豊かさに大差が出ることでしょう。