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何をどう祈ればいいか(原題:Contact with God Retreat Conference)

アントニー・デ・メロ/著
裏辻 洋二/訳

出版 :女子パウロ会
初版 :1992年1月
サイズ:四六判

定価 : 1,728円(税込)

本書は、出版社から在庫切れとなっています。

この本は、デ・メロ神父が指導した黙想会での講話集である。
ひとつひとつの講話はイエズス会士に向けられたものだが、この本を読む人は誰でも今までしてきた、あるいは、することが出来なかった「祈り」をよりいっそう神が望む祈りへと変えていけるだろう。
聖書に示されたみ言葉を通し、また黙想会での体験から、神を信じ、人をゆるし、自分が願っていることを素直に神に表し、願い求め祈り続けることの重要性が明らかにされている。
祈りや神に対する誤った固定概念がくずされ、新たな気持ち、新たな方法で心軽やかに祈りの生活を始められることだろう。

本書は著者の死後に出版された。
黙想会での講話集で、祈りの技法についてよりもむしろキリスト者として祈り、生きるための要点や心構えが示される。
原稿が「注意深く取りまとめられていた」にもかかわらず、なぜ著者はこれを出版しなかったかという問いは、読者に委ねられている。
第2バチカン公会議以前の原稿も含まれているそうで、全体として70年代半ば以前という印象を受けるが、各講話の時期は明らかにされていない。
後年の小話集と併読して著者の霊的遍歴について思いめぐらすなら、理解が深まるだろう。
いま混沌と危機の時代に教会が必要としているのは、聖霊に満たされた人物だと著者は言う。
「あなたは聖霊を持っていますか。神の恵みによって聖霊を人に与えられると確信していますか」(p33)という著者の問いは、養成期間を終えたイエズス会士に向けられたものだが、信徒にとっても大切な問いではないか。
ほんとうに聖霊で満たされたいなら惜しげもなく時間を費やして、神に心をさらしつづけ、熱望し、渇望し、願い求めて祈りながら待ちつづけねばならない。

祈るのは神と出会い、体験し、神と愛しあい、一致するためである。
そしてその体験と喜びを、人びとに伝えるのだ。「あなたは神をどのように体験しておられるのですか。
....あなたはこの現実にじかに触ったことがありますか。
私にそれを触らせることができますか」(p.48)。
著者からの問いにこたえようとするなら、神を知る恵みを願い求めて祈りつづける必要がある。
しかし、心から願えるだろうか。
「私が望むのはキリストを知ることに尽きる....と....断言できるか。
本心からこれが私の望みのすべてだと言えるか。
もし本当なら、あなたはすでに、今神を見つけ出している」(p.62)。

著者によれば、すべての祈りにとって「信じることとゆるすことの二つ」(p.107)は重要な規則である。
さまざまな祈りのなかで、とくに「願い求める祈り」が重視・強調されている。
それは原理的・基礎的な祈りであって、聖人や神秘家も含め、すべてのキリスト者の義務である。
神は「神慮によって、ご自分を信仰者の根気強い祈りの力に委ねた」(p.118)からだ。
願い求める祈りはイエスが弟子たちに教えた唯一の祈りであった。
生活のなかで願い求める祈りを祈りつづけるとは「私には神がなくてはならないと....認めて、神を求め、祈り、叫ぶこと」であり「神を求め神を必要としているのに、私にはこれを得る力がないと認めること」であり「この私にできないことを、神が計らってくださると信じること」である(p.112)。
願い求める祈りを止むことなくつづけ、その効き目を体験することを通じて、神は私たちの生活のなかに現存なさる(p.120)。
それは祈りにとどまらず「この世にとらわれない、全幅の信頼を神に置き神に頼って生きる」といった人生観・態度でもある(p.132)。
「幼児のような信仰でせっせとこの祈りに励む人には、やがてその真意が開示される。
....イエスが願い求めて祈る人に与えられると約束されたあふれるばかりの喜び、パウロの言う『人知をはるかに超えた平和』を体験する」(p.134)。

ついで著者は「悔い改め」そして罪とそのゆるしについて語る。
悔い改めは「生涯を貫く」「キリスト者の根本的な心の態度」(p.191)であり、「おのれの罪深さを告白すること」は「キリスト者が第一になすべきこと」(p.191)である。
イエスは罪を苦しみの根本原因とみなし、罪のゆるし、罪からの救いを使命とされた。
しかし「悔い改めが間違って理解され罪意識、罪の恐れ、自己嫌悪などが力説されると、悔い改めは極めて危険なものとなる」(p.202)。
そもそも悔い改めとは、自己中心から神中心への根源的な回心であって「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、…主を愛する」ことの深い喜びと平和がいつも伴う。
「悔い改めは『主よ、ごめんなさい』と言うことではなく、『主よ、心からあなたを愛します』と言い表すこと」(p.205)なのだ。
悔い改めには神が私を無条件に愛していると深く悟ることが前提となる。
悔い改めともども、願い求めて祈ることが大事だ。

悔い改めについで、いただいた神への愛に応じて、キリストの招きに応えることについて(抱いている神への愛以上に応えようとするならかえって愛は死んでしまう(p.219-221))、さらに主をよりよく知り、愛するため、主の生涯を観想することについての講話がつづく。
最後によりよく祈るためのヒントが掲載されている。