1. ホーム
  2. 深める・広める
  3. 本の紹介

小鳥の歌【東洋の愛と知恵】

アントニー・デ・メロ/著
谷口 正子/訳

出版社:女子パウロ会
初版 :1985年1月
サイズ:四六判

定価 : 1,836円(税込)

購入する

生の真実や信仰の奥義を、寓話・たとえ話・その他小話によって暗示的に伝えようとする本。
言葉にしにくい霊的・精神的な在りさま、境涯、奥義などを、123の「お話」を通し、直観的に捉えることへと招く。
読みやすいお話であるものの、読み解くための正解マニュアルが無いので、読者は諸所で謎に出会い、自問自答を繰り返しながら、前進することとなる。
そして、「お話」の知恵や愛の奥義などをキャッチした時の、心の高揚は嬉しい。

123の小さな「お話し」が集められている。
話しを通して、ある程度の解釈の自由度をもちつつ、言葉にしづらいメッセージや霊的・精神的な在り様・境涯・雰囲気のようなものが伝わえられる。
だいたい前の話は後の話の前提となっていて、誤解を招きやすそうな話に入る前には、それなりの準備がなされているが、かなり刺激の強い表現もなされているから、思慮深く読む必要はあるだろう。
以下のようにまとめられると思うが、お話に正解はないし、まとめだけ読んだのでは何の効果もない。

言葉の意味を知るというとき、二つの意味がある。
ひとつは、言葉の使い方を知ること、ふたつには、言葉の指し示す当のものを知ることである。
第二の意味でほんとうに知るには、みずから経験し、理解し、肯定しなければならない。
自己・人生・世界・神について、まずは新鮮に経験すること。
そのうえで真実や真の価値を知ったとしても、知っているだけでそれを生きないなら、真実に生きているとはいえない。
真に知って生きるなら、賛美の歌が溢れだすだろう(1-3)。

現実をほんとうに経験するために、あらかじめイメージを抱いてはならないし(4-6)、何らかの方法に頼ろうとしてもならない(7-8)。
それより、自分らしくあらねばならない(9-11)。
また沈黙することを学ぶ必要がある(12)。
現実を真に経験するとは、つつましやかな日常性のなかで「驚嘆すべき不思議」を経験すること(13)、毎瞬毎瞬、完全に気づきながら現存することである(14-16)。
それは受肉の神秘の体験であって、神が人となられたのは、人が、いま・ここで、現実のなかで神と出会うためでもある(17-20)。
だから現実を経験したい、真実を知りたいという望は、神からの招きに他ならない(21)。

いま、ここで現実を経験したければ、イメージ・先入見・固定観念・信念などのレッテル・ラベルから自由になり、まずは言葉と概念の向こう側の現実に触れなければならない。
言葉にするなら体験したことを語るのだ。現実の神秘は言葉にはできないが(22-28)。
信念にしがみついてはならない。
経験を信念に変えてはならない(29-32)。
初心、無知の知が肝要である(33)。
聖典すら生かすことを忘れて教条的に神格化してはならないし、頑なな信念の具にしてはならない(34-36)。
専門家・導師・霊的指導者・先生などに頼ってはならない(37-40)。
信仰の道においては、いつまでも乳や離乳食ばかり摂取していてはならない。
ひとり砂漠の中にいることに耐えられねばらならい(41-42)。
誰かがくれるお守りを信じるのではなく、怖れずに真実を追求し、勇気をもって真実と直面するのだ(43-49)。

自分も他人も、すべて、丸ごと、愛し、認め、受け入れる(50-52)。
素直に、単純に、私心なしに祈る(53-57)。
召命と使命を知り、それを生きる(58-61)。
二つの旗のうち、つねに神の旗を選ぶ(62-67)。
この世のすべては夢のようなもので、神だけが真の実在であると悟る(68-70)。
神が人となられたのは、人が神になるためである(71-75)。

神との一致の道は、離脱の道である。自意識からの離脱、宗教的な信念とエゴからの離脱。
他人を裁くような「正しさ」からの離脱。
他人の罪にとらわれることへの離脱。自分を偽り神を偽ろうとする欺瞞からの離脱(76-82)。
そして、ただ愛し、愛から仕える喜びで満たされる。
愛は寛容で裁かず、自由で創造的だ。
愛は欲望から自由で、すべてにとらわれることなく、すべてを楽しみ、心満たされている(83-104)。

愛からほとばしり出る知恵である真の宗教と、裁き、憎み、争い殺しあう元凶となる似非宗教とを混同してはならない(105-110)。
信仰は変革や革命ではないが、飼いならされることなく、聖なる反逆心をもちつづける必要はある(111-113)。

制約のない愛そのものである赦してくださる方を信じて、自分の罪を認め、受け入れる。
神を愛し、被造物をも愛し、二つの愛の違いに気づく(114-120)。
そして主にじかに聴いて、主に従う(121-123)。