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ひとりきりのとき人は愛することができる(原題:Call to Love Meditations)

アントニー・デ・メロ/著
中谷 晴代/訳

出版 :女子パウロ会
初版 :1994年4月
サイズ:B6判 上製

定価 : 1,620円(税込)

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聖書のことばを愛と愛の障害という視点から洞察し、いかにして執着・欲望・イデオロギー・公式などから解放され、無条件で愛することができるかを黙想する。
アントニー・デ・メロ晩年の黙想書。

孤独のなかで無条件に愛されたいという欲求や、無条件に愛したいという欲求が満たされずに、さみしくつらい思いをしている人にとってはまさに福音になりうるかもしれない黙想録である。
福音書の一節に絡めて記されているので、福音書について著者一流の読み方を学ぶこともできる。
収録されている31のエッセイは、どれも同じ主題を巡っていて一貫しているのは現実を見、現実に触れつづけ、そこから立ち上がる愛と自由に生きる幸せを味わおうという態度である。
「今や、わたしは人生を一瞬一瞬生きながら通り抜ける。現在に全く没頭し、過去のお荷物をほとんど背負わずに....未来に対する不安に煩わされることもない。もうだれにも、何物にも執着しない。人生の交響曲に対する味わいを深めていく。そして、心をつくし、魂をつくし、精神をつくし、力の限りをつくして....命だけを愛していくだろう」(黙想10)という一文は、著者が誘う境涯を垣間見せる。

おおざっぱに言えば最初の11のエッセイは、世間や権力者や親や教師などから精神と心に埋め込まれたプログラムの暴露とそれからの解放に関するもので、かれらに都合の良い信念体系や価値観にもとづいて考えたり感じたり行動するよう教育されてしまった結果、不自由で不安で不幸でいる状態からいかに解放されるかといったことが主なテーマである。
内なるプログラミングを観察し抜き、正体を悟るなら「広がり続けるあわれみと大空のような自由を実感する」ようになると、デおそらく実体験に基づいて記されている(黙想7)。
つぎの6つのエッセイは、いかに自然の知恵と子どもの無邪気さを回復し、自我のずる賢さと統合しつつ現実に目覚めていくかがテーマだ。
そのつぎの9つのエッセイは愛(愛すること)についての黙想で、愛の基盤である自由に開かれるために「自分の願望、偏見、記憶、投影、偏ったものの見方を捨て」ること、「自分の動機、感情、必要、不正直さ、自己追及、支配癖、操縦癖に、容赦なく気づきの光を放つ」ことなどが説かれる(黙想22)。
最後の6つでは幸福・真実・聖性などについて黙想される。

現実や事実に対してこれを知る・理解するという言葉ではなく、見る・触れる・味わうといった言葉が多用される文章や、経験・理解・判断からなる「知る」というダイナミズムのなかでとりわけ経験を重視していることからも、著者の経験主義的ないわば感覚的神秘主義者としての一面がうかがわれる。
「意味」はしばしば軽視され、現実を隠す「公式」として否定すらされる(黙想16)。
経験主義的見地からの意味に対する軽視ないし否定は、「いま」の強調として現れ、歴史や歴史意識が信仰生活にもつ意義は考慮されないし、「永遠」は「永遠のいま」に還元されていく。
「受肉の神秘」は感覚的・審美的な神秘体験において享受され、その歴史的意味の次元は放置されるかのようだ。
また愛は感受性とされて(黙想22、25)、理知や意志あるいは意味や価値との関係は考慮されない。
人それぞれ召命と使命があり、もって生まれた性質もあるので、おそらく自然的・超自然的な五感の機能に恵まれた著者は、経験の次元における自然的・超自然的現実把握とそこにあふれる感受性の愛があまりにすばらしいので、自然的・超自然的理知における真理追究については、野心をもたずにすませられたのかもれない。
「聖なる不満」という「神の炎」(黙想27)は、著者の自然的・超自然的な感受の喜びを焼き尽くしてさらに真理そのものである方を知る上知の賜物への欲求に向かわせることはなかったようだ。

沈黙の泉」のあとがきや「蛙の祈り」の序に引用された著者晩年の親しい友人への手紙によれば、「以前のわたしにとって非常に重要であったことも、いまではどうでもいいことのように思えます。
わたしの興味はすべて、仏教僧のチャー導師に関することに吸い取られてしまっています」とあるが、パウロの「わたしの主キリストを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」(フィリピ3:8)という言葉を晩年の著者はどう読んだであろうか。
しかし、最期の黙想の終わりはこう締めくくられている。
\\ 「気をつけて、目ざめているだけでわたしには十分なのである。このありさまで、わたしの目は救い主を見るだろう。他には何も、一切何も、目に入らない。取るに足りないことなのだ。安定も、愛も、帰属感も、美も、権力も、聖性も、何もかもが」(黙想31)。