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信頼の心を広げながら

人生において、わずらい・気がかり・懸念・心配という類は、数限りなく存在します。
けれども考えてみれば、不要なわずらい・気がかりとか、要らぬ懸念、無駄な心配などが実に多いです。

たとえば、出張することとなった。
その出張は、鉄道と飛行機の組み合わせで、遠距離の移動。
しかも、到着先には、多くの人々が集合して待ちます。
ゆとりをもってのスケジュールを組んでいても長距離ゆえに、万が一と思わずにいられません。
車両の故障・天候の悪化・その他不慮の事故等々。

別の例。

  • 冊子の仕上げに協働で取り組んでいる
  • 締め切りも近づき、ある部門が約束の日時までに、しっかり担当範囲をまとめてくれないと、締め切りに間に合わない
  • その部門の人が、従来から信頼しにくい人だと、「まただめになるか?」と心配になる

こういう場合において、懸念や心配はあるけれど、信頼する方向に賭けてみます。
賭けてみて不安を持ちながらも信頼しようとし、好結果に至ったとき、信頼して良かったとつくづく思います。

また、ある時に相手の人が間違いや失敗をして、私に迷惑が掛かったあと、その誤謬や失敗ゆえに、もう、その人に仕事を頼むことはやめたい。
その人について、「誤りの多い人」「失敗の多い人」というレッテルを貼りたくなります。
けれども、決め付けてしまわないで極力信頼するように努めるのが、よいはずです。

信頼ということは、人間同士の間で信頼しようとするだけではありません。

  • 土が植物を育成できることへの信頼
  • 太陽が恩恵を届けてくれることへの信頼
  • 空気が人の体に酸素を送り続けることへの信頼
  • 魚が食べられて人の栄養となることへの信頼
  • 水が口から飲み込まれて人体の支えとして働く信頼

信頼の広がりは際限ないほどに伸びます。
(人為的な汚染などの有害性には気を付けながらそれをします)

信頼の方向に心が延びていくとき、人生に処する姿勢全体に委託・安らぎの心が広がります。
委託・安らぎの心で感謝できる物事が多くなります。
人生全般への信頼というものが、育ちます。    

人生全般への信頼ということが、まことに身に付くとき、体の姿勢・構え方にもそれが現われます。
信頼が身に付いていないうちは、肩や首、さらにあごや眉間のところなどに余分な力が入ります。
そして、それらの部位に硬さやこわばりが現れます。
また、体の重心ともいうべきものが、首に近い上の方に上がってしまいます。
しかし、信頼の心になれると肩や首、さらにあごや眉間のところなどの余分な力が抜けて、そのあたりにゆとりや柔らかみが差して来ます。
また、体全体の重心がおへその方に下ろされます。
こういう、信頼のフィーリングのうちにあると、人々からの多くの好意、自然がもたらしてくれる恩恵の多さ、それらを通して、神様がよくしてくださるのをいっそうよく感じられます。

さらに神様から実は、私も信頼されている
人生全般への信頼の心が基調に脈打っているとき、はじめて私は、自分が神様から信頼されているのを感じ取れます。
具体的には、たとえば結婚した夫婦であれば、新しい「いのち」を出産することを任され、またそのいのちの養育も任されるなど、このようなところで神様から信頼されていると感じられます。

私に届く物事への信頼を広げ強めるからこそ、私に届く神様のおはからいと支えがしっかりと存することが感じられます。
また、神様から信頼されてさえいるとも、感じられます。

人生は、無鉄砲な楽天主義は禁物です。
しかし、必要な配慮と注意を払いつつ人生への信頼を基底に広げることで、神様によって計らわれ支えられ信頼されているのを感じながら感謝のうちに人生の歩みを進められることが多くなります。