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謙遜の限りを尽くしながら

暮らしの中で神様に出会う道をすでにいろいろと見て来ました。さらに、次の道を加えましょう。

それは、謙遜の限りを尽くす道です。

この道に向かう心は、愛に溢れています。
自分の周りに善が増すことを熱く願っています。
その心(願い)から、目的が達成されるためには、どういうことでも実践しようと意図します。

謙遜が深まるなら常識的にいえば誰もが避けようとする受け入れにくいことをも引き受けます。
神様の前でまた、人々の前で神様の栄え、人々の栄えを願う心を大きくします。
自分が陰にまわればまわるほど、神様や人々の栄えが増す、それで人よりも重んじられようとはしません。
賞賛されたい望みからも絶えず離れることに努めます。

たとえば、そのような努め方の例として熟達した先輩格のリーダーが、時を重ねるうちに後輩に大切な位置をどしどし回して行くと、いうやり方があります。
その先輩自身は、陰に回って縁の下で、後輩たちを支える方向へと向かいます。
見事な謙遜の道です。

また、切っても切れない人間関係の中で、美しい形に向かうことができます。
従来、子育てしてきた親は、子供には教導と指示とを出し続けて来ました。
しかしある時に、ふと子供の見解に従ってみるということもできます。
自分の用意できる良い見解は脇に置いたままで、ただ子供を尊び、子供が事態に責任を取る機会にしてみる、子供が飛躍的に成長するきっかけになることでしょう。

謙遜は、神様の御前での人間の美しさでもあります。
神様の美しさ・偉大さが良くわかるゆえに、自分を“小さく醜い”と感じたいのです。
そこで、他人から中傷されても、神様への愛のゆえに、文句を言わないで受け入れようと努めます。

不公平な扱いを受けても、神様への愛のゆえに、文句を言わないで受け入れようと努めます。
自分がそのくらいに扱われると、神様の御前での自分のほんとうの姿に近づいていると感じられるのです。

ですから、謙遜は人間の真実なあり方だと言えるでしょう。

なお、偽りの謙遜には十分に注意せねばなりません。
まことの謙遜は、自分の良さを十分に認めています。
自分のいただいた良いものゆえに、神様に感謝しています。自分を喜んでいます。
その上で、神様の御前での自分の“小ささ・醜さ”を感じ続けたいのです。

この道は、通常の常識や良識からあまりにも隔たっています。
人々からは理解されない道、注目もされない道、愚かしくさえある道です。
ただ、神様と人々への純粋で気高い愛で愛したいだけなのです。

このただ神様ゆえに、純粋な愛ゆえにという道を辿る人は、ふと「神様が私に触れてくださっている」、「神様が包んでくださっている」と、感じることがしばしばです。