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周囲からの求めと自分のしたい事とが一致して

私たちの人生で、いろいろな場合に“努力”が求められることは、言うまでもありません。“努力”なしに人生を送れるというようなことは考えられないことです。
しかし、“努力”というものが必要以上に多い人生は、見直されるべきです。

奉仕的に好ましい働きをしながらも、努力の感じが少ない道というものがあります。

幼児や少年少女を世話する母親を見つめてみましょう。
自分のお腹を痛めて出産し、かわいく成長している我が子。
そして、母親がこの子を愛しているなら、食事を作ってあげることも、服を洗濯してあげることも、状況から求められていると同時に、母親自身も、この子にそうしてあげたいと思うようになっています。
つまり、自分のしたい事となっています。
この母親は、食事を作ることや洗濯することに“努力”の感じが少ないに違いありません。

このパターンは、神様との親しさを恵まれる場合に、その眼差しのもとにあるすべての人間同士の関わりに適用できそうです。
つまり、先ほどの母親の「子供の求め」イコール「周囲からの求め」、「子供への愛情こもる世話」イコール「自分のしたい事」という当てはめ方です。
神様と心からの親しみを恵まれると、すべての場合に成り立って来る可能性があります。

自分は、自分の側に条件を持たなくなっています。人々を誰かれと区別することなく愛するようになっています。
そして、「その人に良いことが増えること」、「その人が喜ぶに至ること」、それが自分のしたい事になっています。

このようになっていれば、なんらか、求められているとすると、多くの場合のその求められることは自分がしたい事になるという状態です。

そうして、自分は、多くの場合に周りから求められるそのことを自分のしたい事と感じながら行います。
それをすることに気乗りがして、喜ばしく思いながら、いそいそと取り組む仕方(あり方)が現れます。

体の用い方のありさまは、きわめて幅広いものです。