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ものごとを適切に用いながら(1)【人間以外のもの(物品や動植物)】

食べ物は、人が暮らす際に一番身近な物品の一つで、しかもそれを欠かすことができないものです。
何をどのように食べるのが適切でしょうか?

その他、着飾ること、防寒や避暑のための諸道具(諸用品)、スポーツのための諸道具、仕事のための諸道具、快適な睡眠のための諸道具、健康維持のための諸用品を、どのように調達し、どのように用いるのが適切でしょうか?

欲求や衝動のままに、物品に関わることをまず卒業します。
そして次の段階としては、自分の暮らしを構成しあげている、幾つかの主立った要素を見つめ回してみます。
月々の収入と家計のバランス、その物品の必要性、その種類の中で品質や価格をどのレベルまで求めることが望まれるか、などを見渡してみます。
また、どのくらいの分量を消費したり、手元に備え置いたりするのがよいか、検討することを習慣づけます。

どのように、生活に役立て、人生で前進するのに役立てましょうか?
必要が生じると、常に「購入」ということにすべきだとも言えません。

たとえば「本」の場合、自分の所有のように手元に備え置かずに図書館を利用することで済むならば、それはいろいろな善をもたらします。
また、いつも新製品を購入するというより、リサイクルという動きを活用することもいろいろな善をもたします。

物品や動植物に依存しすぎることには、警戒が必要です。
健康を思うこととその行き過ぎ、家計を思うこととその行き過ぎ、美容を思うこととその行き過ぎ、などによって、ある特別なものへの愛着が増大することがあります。

また、借りたものをしっかり返却し、不要になったものを手放して、今現在の自分を取り戻せることを求めたいです。
そして、用い方が自分の心の深いところに、しっかりつながるよう自分自身を整えたいです。

こうして、適切な用い方に進歩するとき、自然からの恩恵に感謝する心が蘇ります。
また、自然のものの加工された製品の恩恵にあずかる際には、自然の恩恵に加え、製作者の勤労にも感謝できます。
このような用い方をしている場合、もう心は神様に向かうところがあり、神様との対話が始まっていると言ってよいでしょう。

神様のご配慮と、人の勤労によってもたらされた「尊いもの」を使わずに埋もれさせておくべきではありません。
感謝のうちに用います。
しかし、愛着しすぎては、神様を見失います。
「必要な限り、必要なだけ」を用います。

このような「選択」のプロセスを丁寧に辿ります。
丁寧に辿るうちに、神様の前で神様と共に「今」が良い時(自分が心満たされる心の状態)になることを求めるようになっていきます。
この状態は、恵まれた状態だといえるのではないでしょうか?

高度な適切さで、人工物や自然の恩恵を用いるとき、そのもの自体に対して感謝が湧きます。
また、必要なときに神様がみずから良い計らいをしてくださることに気づき、神様との親密な語り合いが増します。

実は、「適切な用い方」ということは、とても奥が深いです。
この適切さを鍛錬すれば、とても高度なレベルに達します。
とても高度な適切さが、狭い門の向こうに達成を待っています。
そしてその達成とともに、多くの局面で深く神様と対話できる状態が来るのです。