1. ホーム
  2. 深める・広める
  3. 暮らしの中の観想
  4. 他者と関わりあいながら

ご恩返しの心を起こしながら

愛を受けた人は、受けた好意に心が温まります。
それをありがたく思います。
そして、そこからきっと、そのご恩に恩返ししたくなります。
とくに受けた好意が大きいものである場合は、是非とも恩返しして受けた好意に報いたくなります。  

私たちが、神様から受けている溢れる愛に気付くとき、神様にご恩返ししたくなります。

私たちは、どれほど多くの好意を神様から受けているでしょうか?

私たちの生みの親・育ての親が、いたいけな子供を養育するにあたり、食べ物・飲み物・寒暖をしのぐ住まい・健康を維持できる衛生状態などを整えてくれました。
こういう“人の親”の働きがよく整うためのその基盤には、いつも神様のお働きの手が届いていました。

いっそう近いところに、神様の好意的なご配慮が絶えることなく届いていることも見出すことができます。
私の体の極めて高度なしくみ、たとえば、見る機能とか、脳の機能。
あるいは、心臓の高度な機能や、血液の果たすすばらしい機能など。
これらが、長期にわたり変調を来たすことなく維持されるについても神様のお支えが続いているからこそと、解ります。

信仰を持つものにとっては、祈りに答えてくださる神様、秘蹟や典礼で養ってくださる神様のことを感謝のうちに思い起こすことができます。
秘蹟や典礼の恵みは、この社会・この世の中が決して提供できない尊いものゆえ、それを思えば思うほどありがたさたが増します。

以上は、神様からの愛を受けている自分について、一瞥したものです。
これに加え、人間同士で好意を示し合い、互いに愛を差し出し合うことも、間断なく立ち現れます。
私たちは、常に互いに支え合おうとし、善さを提供し合おうとします。
つまりは、愛を提供し合うわけです。

こうして、「愛を受けている」「好意をこうむっている」ということを忘れないおり、私たちはおのずと「恩返し」したい、「恩返し」せねば、という思いになります。
このような思いを大切にして心構えし、実践することは極めて尊いものです。

「恩返し」の心になることは、さらに、暮らしの日々に優れたものを産み出します。
人が暮らしの重荷にあえぐとき、孤独に苦しむとき、病いに心弱るとき、この「恩返ししたい」思いは、他者の重荷や苦しみや落ち込みに手を差し伸べることを産み出すでしょう。
また、苦しむ人々に向かわない場合でも、暮らしの日々に喜びの種を届けようとするでしょう。

「恩返し」の心のすばらしさは、さらに人の嫌がることを私がすすんで引き受けて、受けた好意に報いたいと望むにまでなります。
それほどに身を挺してすることが、受けたもの、いただいたものにふさわしいのだと感じられます。
何と、すばらしく自分を差し出そうとしていることでしょうか。

「恩返し」する心構えになること。
「恩返し」を形に表すこと。
それをするところでは、神様の溢れるご好意を生き生きと感じることが続きます。
神様と共に暮らしを営んでいることを大きな感謝のうちに感じます。