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見えてくる(4)【美しいお年寄り】

美しいお年寄りに出会うことがあります。

毎日安定したリズムで暮らしておられます。
そのリズムが乱れることがありません。

ゆっくり静かに行動するのですが、働くことを続けています。
現役世代が大枠を決め、大きな働き方をするはざまにあって、自分に出来る範囲を決めて、隙間を埋めます。  

自分が働いた労苦のこと、また、仕事の成果とか業績とかをアピールするようなことは、一切口に出しません。 現役世代によって世話されることがあると、美しく頭を下げて、礼を述べます。

親しい数人が食事の席に着くとか、お茶を囲んで団欒するような場では、静かに同席者の話すことに耳を傾けます。
そして、たまに、自分の興味のある話題で、なお知りたい場合に、丁寧に質問します。

食事に関しても、自分の体と食べ物との間の、相性のいい悪いを十分に心得ていますから、体に合う限りのものを適量、上手に選んで食べます。

愚痴を言うことがありません。

若い世代が、争い合ったり、咎め合ったり、競い合ったりしていても、自分の方からはそこに介入しません。
もし、若い世代の方(ほう)がご意見窺いのような質問をすることがあれば、ゆっくり「人生というものは、○○○でうまく行くようですよ」とか、「人と人とは、□□□し合うものだと思いますね」といように答えます。
自分を入れ込んで、リキミをもってすることがありません。
人生の普遍的真実に目を向けてもらうような話の持って行き方です。

日々穏やかに、また時折、微笑みを浮かべて暮らします。

こういう美しいお年寄りは、心の中で人の世の物事に関心の中心が無く関心の中心は、人の世を超えたところにあると感じられてきます。
こういうお年寄りの喜怒哀楽の基準は、人の世の物事には無いとわかります。
どこか気高いところ、悠久のところに価値の基準が置かれています。

こういうお年寄りは、神様と出会い、神様と対話する日々(刻々)を過ごしておられるように見えます。
こういうお年寄りの姿に接する度に、神様が人と共におられ、そして人を支えてくださっているのが見えるように思います。