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祝祭という高揚1

共同体的仲間になり合うようになりました。

仲間の輪を育てながら、なお、一人ひとりを大切にしようとして来ました。
しかもそのどちらも、神と交わりながら(さらに、一層深く交わらせていただこうとしながら)そうします。

あなたたち二人、三人が、私の名によって集まっているところには、私もその中に居る。(マタイ18:20)

自分を十字架上に捧げ、復活の歓びに入られたキリストの歓びが、私たちの輪の中に湧き出ます。
キリストの歓びは、湧き続けます。

私たちは、キリストのその歓びを分けていただきながら、互いが歓びを交わし合います。
そうしながら、また共に冥想へと入ります。
...こういうことが繰り返されます。

神さまを中心とし、神さまと共に、互いが歓びを交わし合う――それは、「祝祭」というべきことです。
淋しげに、うつ向き加減になりかねないふだんとはうって変わった高揚された「祝祭」をサダナの場で、私たちは体験します。