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識別

私たちは、人生において絶えず「選択」の分かれ道に出会います。
「選択」は、金銭使用とか移動手段としての交通の利用の仕方とか、食べ物の選び方という精神性とは距離感のある「選択」もあります。

一方、今携わっている奉仕の仕事に用いるべき時間数の「選択」とか、子供の進学先の「選択」とか教養講座に参加したくなっているが、どの講座を選ぶと良いかなどの「選択」という精神性が伴うものもあります。

後者のような「選択」は、自分の人生の価値を左右する大切なものです。
その「選択」にあたり一回限りの人生にふさわしい価値ある道は、どういうものであろうかとそれを見つけだそうとする営みが「識別」です。

キリスト者としては、人生は神様との関係としてあります。
ですから、神様が関わってくださる精神の一番の深みにおいて大切な課題を有します。
その深みは、心をひそめて感じ取ることが必要で神様のお招きを感じ取り、それにお答えする方向をしっかり選択するわけです。

そういう深みにおいて、一見神様からのお招きのように感じられる心の動きがありますが実はそうではなく、神様とは別領域へいざなうものも現われます。
たとえば人を喜ばせようとする心の動きが起こる場合、「良いことを目指すのだからよい選択だ」と、言うふうに一概には言えないのです。
人を喜ばせることが実は、自分の栄えを呼び込むために使われることもあるのですから注意を要します。

自分の心の動きが、純粋に「奉仕しようとする」ものなのか、他の不純な動機が色濃いのか、よく見極めねばなりません。

その見極めのために「なぐさめ」と「すさみ」の感じ取りをしっかり保っていることも大切です。
神さまのお招きならば、本当の「なぐさめ」が届くのです。

実は、人が神様をイメージするするその仕方のところにも課題があります。
神様のイメージが、真実の聖書的なイメージなのかどうかも問われる必要があります。

そういう深みを純正に感じ取り、純正に把握したうえで自分の心の動きを見極める――そこに根差して的確な選択をすることを学ぶことに私たちは招かれています。
「識別」という作業は、よい人生を築くためにきわめて大切です。