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ラフォント師について

ミゲル・ラフォント神父は、1930年スペイン北部に生まれ 、1957年イエズス会神学生として来日しました。
司祭生活は、叙階の1953年から始まり、帰天の2015年まで52年間でした。

司祭に叙階された当初は、日本の社会的に恵まれない人々を支援する活動で奉仕していました。
同志とともに「日本共助組合連合会」の設立にもたずさわり、やがてその理事長を務めた(師の56歳ころ、すなわち1986年まで)師は、上記の奉仕と並行しながら霊的指導を大切にしていて1976年に来日したデ・メロ師の指導法に触れ、これがサダナに打ち込むきっかけとなりました。

その年のうちから日本でサダナ方法での霊的な指導を始め、その指導の仕方を長年かけて磨き上げることとなります。

このプロセスにおいてラフォント師は、出向回数にして5回、日数にして合計1年になんなんとする日々をデ・メロ師とひとつ屋根の下で過ごしました。

加えて、ローマでイグナチオの霊性の研修やカウンセリングの研修を受けることもしていました。

こうして私たちには、ラフォント師による入念なサダナプログラムが伝わることとなり、ここにはイエズス会の伝統に東洋の方法が豊かに接ぎ木されています。

デ・メロ師の方法を日本で普及させたいと念願し、それに努めた宣教師も数人あったなかで日本で長く活動することができたラフォント師こそは、サダナの普及を推進した中心人物となりました。

ラフォント師は、理論面も大切にしながら現場を重んじる人でした。
師は、招かれる所はどこへでも赴き、日本の各地にサダナ愛好のグループを形成しました。
北から見て、旭川、札幌、長野、首都圏数ケ所、神戸、岡山、福山、広島、下関という具合でした。

植栗神父との協働は、2005年から始まり、帰天される2015年までおおよそ10年間で師が広島や下関で教会付きになったため、西をラフォント師、東を植栗神父が担当という仕方になっていました。

2015年は、重くなった病いとの格闘がありながらも、息を引き取る2-3週間前までサダナ指導に取り組んでいました。