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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

想像と祈り

【25】習熟する(1)―尊いイエス様イメージ―
 

 「想像力」を活用して祈りを重ねる流れから――  
 いくつかの尊いイエス様イメージが、心の奥に蓄えられます。
 すでに、上に提出した祈り方のうち、福音を題材とする祈り方からも、自分の人生の体験場面にイエス様が来られる場合からも、極めて尊いイエス様像を得ます。
 このイエス様像は、自分の心の在り方にぴったり寄り添ってくれます。寄り添って、私の心が求めることに、きわめてよく応えてくれます。
祈りの中で形作られたイメージです。大事な折りに、浮かび出て、自分を慰め・励ましてくれます。こうして、自分がイエス様とますます親密になったことを体験できます。
 暮らしの中で
 ――選びの場面で、どういう方向を選ぶべきか
 ――心がしんどいので励ましが欲しい
 ――祈りがうまく進まないのでどうしようか
 このような時に、イエス様像が大いに助けになります。
書き方があまり抽象的なままで終わらないよう、筆者自身の一つの大事なイエス様像を例に示しておきましょう。
 私は、仕事の関係で理不尽な処遇を受けたことがあります。その体験が起こってしまった現場は、大きな建物の長い直線の廊下の端のところでした。このコーナーの13番目に掲げられている冥想をした際に、私には、次のようなイエス様像が得られました。それは、先輩司祭が私の相談を親切に受け止めてくれたそのポーズに似たイエス様でした。この13番目の冥想を私は時々行います。その積み重ねによって、辛い心になったとき私がイエス様にそれを訴えると、イエス様はすぐにそのポーズになって私の脇に立ち、「ちょっと一緒に廊下を歩こうか・・・・」「どういう事があったのか、話してご覧なさい・・・・」と、私とともに廊下を往き来してくださるのです。かすかに、背中を丸め、両手は腰の後ろで軽く握ってゆっくり歩かれるのです。静かにそっとやさしく、私の歩調に合わせ私に寄り添い、よく耳を傾けてくださいます。
 このような“像”を得ることが、祈りの道の最終ゴールなのではありません。祈りの道のゴールは、霊でおられる神様との深い一致ということです。 ――ところが、霊でおられる神様を五官で捉えることはできません。その神様が近づいて(ほんとうは、「神様が私を引き寄せて」)くださいます。その神様の「私へのお働き」を感じることはできます。神様の「私へのお働き」が、上述のようなイメージに、いかにもぴったりなのです。そのイメージを生き生きと感じ取るとき、神様の「お働き」を生き生きと感じ取る大きな助けになるのです。

 

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