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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

アントニー・デ・メロ神父について

 

《デ・メロ神父の略歴》

1931年 インド、ボンベイで生まれる。
1948年 イエズス会に入会。
1961年 スペインで哲学、アメリカで
      心理学を学び、インドに帰っ
      て 東洋と西洋の霊性の統合、
      心理学とイグナチオ的霊性の
      統合を試み、司牧的カウンセ
      リング研究所「サダナ」を主
      宰する。
1987年 ニューヨークで客死。

 

【邦訳書】 (女子パウロ会刊)

「東洋の瞑想とキリスト者の祈り」  「小鳥の歌」

「心の泉」 「何を、どう祈ればいいか」

「ひとりきりのとき人は愛することができる」 「蛙の祈り」 「こころの歌(ミニ本)」

 

アントニーデメロ師の経歴と霊的過程

ミゲル・ラフォント(イエズス会司祭)

1)アントニー・デ・メロ師の経歴

 アントニー・デ・メロ師は1931年インドのボンベイで生まれ、1948年イエズス会に入会、スベインのバルセロナで哲学、米国のシカゴのロヨラ大学で心理学、 その後ローマのグレゴリアン大学で霊性の神学を学びました。1968年司祭・修道者としての養成期間が終了したときプネにあるイエズス会神学院の院長に任命され、神学生の霊的指導者となりました。院長の任務を終えたとき、彼は優秀な霊的指導者になっていました。 彼は最初の段階としてイグナチオの霊操を強調し、一か月のイグナチオの大黙想を指導していました。大黙想には神学生ばかりではなく、イエズス会の司祭も参加し指導の訓練を受けていました。 彼はイエズス会の若い司祭に大きな影響を与え、しばらくの間インドのイエズス会の中で一か月の霊操運動が広がりました。彼は優秀な霊的指導者として認められたのです。
 1974~75年ボンベイ管区の代表として第32回イエズス会総会に参加し、毎朝総会参加者のために、祈りの集いを開き指導し、好評を博しました。この祈りは評判が良かったそうです。著書”SADHANA”は古典的な名著となりつつあります。

2)アントニー・デ・メロ師の霊的過程

 彼はあだ名でトニーと呼ばれていたのですが、トニーは自分の霊的指導者がカルベラス神父であったことをたびたび強調していました。 1950年代カルベラス師はバルセロナのサンクガト神学院の有名な霊的指導者でした。イグナチオの霊性と霊操の指導をする真のマエストロでした。 トニーはつぎのエピソードを感動的に述べていました。 『あるとき、霊的な面接でカルベラス師はト二一に尋ね「あなたはどう祈りますか。ちょっと説明して下さい。」と。トニーは困った。どういうふうに祈っているかと考え、苦労しながらなんとか説明しましたが、カルペラス師は彼の説明をじっと聞いてから、言いました。 「あなたはまだ祈りの体験がない。」続いてイグナチオの祈りの三つの方法の三番目を教え、次のことを勧めました。「主の折りをゆっくり呼吸しながら(Per anhelitos)唱えて下さい。」その時、トニーは初めて祈りの体験をする事ができました。 ホセ・ビセンテ・ボネトの「Tony Demello、Compañero de Camino」という本で次のように書いています。 「トニーはカルベラス師の霊操指導と霊操知識によって多大の影響を受けました。 カルベラス師の霊操指導は現在の個人同伴のやり方に近いものでした(2002年、P116)」。

 何年間もトニーはインドで大黙想を指導し沢山のイエズス会員に影響を与えだけでなく、自分のやり方によって、若いイエズス会員の中に霊操運動を興しました。 トニーはイエズス会の神学生がインドとアジアの霊性を体験しなければ、インド人に大きな影響を与えることが難しいことに気づきました。 それだけではなく、現在の心理学も取り入れなければならないと確信しました。 そういう訳でキリスト教的霊性だけでなく、段階的に東洋の霊性にさらすよう、種々のプログラムを組みました。 例えばヴィパッサナの有名な専門家ゴエンカ師を招き、十日間のヴィパッサナの瞑想指導を受講し、また心理学の専門家であるイエズス会員に依頼して、一週間の治療研修(group therapy)を実施しました。 トニーは指導を続けながら三つの根本的源泉を見いだし、一つの流れとして指導を継続しました。それはイグナチオとキリスト教の霊性、東洋の霊性、現在の心理学の三つです。 イエズス会神学生の霊的指導者としての期間が終了した時、新しい時期が始まりました。それは男女修道会の修練長と養成責任者のためのサダナ研修でした。 最初はプネで、その後プネから40km離れたロナープラに移動しました。
 ロナープラは山間部で夏休みの避暑地です。そこにイエズス会ボンベイ管区の別荘があります。 10月から3月までは殆ど使用していませんでしたので、しばらくの間そこでサダナ研修を行ないました。

3)アントニー・デ・メロ師の霊的過程における聖イグナチオの影響

 パルマナンダ・ディヴァルカル師は、『Contact with God(何をどう祈ればいいか)』という本のまえがきで次のことを書いています。 「彼の働きは種々異なった段階を通り抜けたことを知っておられよう。 彼は援助の手を差しのべた人々の必要によく調和し、彼らの内的な発展の要求に合致する働きであった。」「彼は卓越した指導者、精神療法家、グルーであった。デ・メロ師は大いなるキリスト教の伝統のなかで、最初で最後の霊的指導者だと賞賛する人もいる。」

 J.V.ボネトによれば「トニーは最初の霊的な指導を忘れず、最後まで聖イグナチオの影響は大きいものでした。(Toni jamas adjuro de sus comienzos) (p. 116)聖イグナチオの影響はトニーの著書にはっきり現れています。 例えば、最初に書いた「サダナ」をはじめ、七冊の本でも同じことが言えます。具体的には聖イグナチオの「原理と基礎」のindiferencia (不偏心)(妨げとなるかぎり、そこから離れるべきである)であり、もう一つは「愛をえるための観想」(contempiacion para alcanzar amor)のなかの神を探し求める(buscar a Dios en todaslas cosas)という心の態度はたびたび出てきます。ボネト師が書いているように、トニーは指導の流れのなかで次第に東洋的表現を用い、聖イグナチオの霊性の表現が東洋的なものに変わってきます。
 彼によって仏陀の解脱(無執着) desapego radical は聖イグナチオのindiferencia (不偏心)に近くなっています。 だからこそ、ゴエンガ師はSantaindiferencia(聖なる不偏心)と呼んでいます。『Call to love(一人きりのとき、人は愛することができる)』という本で、幸せになるためには物事から引き離されなければならないと言っています。引き離す態度がなければ、幸せにはなりません。神を探し求めるという態度は彼の著書「心の泉」の聖書という章で東洋的な表現で表しています。
 ボネト師が書いているように「トニーが話し書いた言葉は、インドのキリスト教にインド的な魂を吹き入れ、東洋と西洋の霊性対話をする試みである。タゴールによって東洋と西洋は同じ人間の心臓の脈拍(収縮、拡張)になります。 トニーは東洋と西洋の文化のかけ橋となるという、壮大な苦労を厭いませんでした。 そのような仕事は必然性があり、避けて通れない事です。トニーは亡くなる5年前即ち1983年7月31日聖イグナチオの祝日に、集まったインドのイエズス会員に講演し、次のメッセージを告げました。「創造する力の聖霊に調和しようと願うならば、ときにはぶつかりあい、分かり合うことの難しい、私たちのカトリック教会を愛し、これに忠誠を示したいと望むなら、神へと深く沈潜する必要がある。 それは観想する道を通して初めて可能となる。 観想の道を歩む者だけが創造と軋轢のなかにあっても、忠誠と従順を統合する術を心得る。私はこの記念ミサでこう祈りたい。神の歴史が私たちを至らぬ者と見る事のないように、聖イグナチオが私たちを誇りに思ってくれるように。」と。

4)サダナ

 サダナとはサンスクリットの語句でヒンズー語で目標を立てること、神への道と道具を意味します。 もっと具体的に言えば、自己を探る、道を歩む、導きを望む、等を意味するともいえます。先に申し上げたように、サダナの方法のなかで、根本的な源泉があります。 聖イグナチオとキリスト教の霊性、東洋の霊性、現在の心理学、この三つです。サダナ研究所は1973年インドのプネ市で、アントニオ・デ・メロ師によって創設されました。1978年に移動して、プネから40km離れたプネとボンベイの間の鉄道の山の駅にあります。デ・メロ師が開設したサダナ研究所は、霊操や霊的指導者の養成責任者が訓練を受ける霊性的な場所でした。
 サダナの目的は人の内的自由を見いだし、体と心と霊の統合を目指して、すべてのもののなかに神を見て、神のなかにすべてがあることを体験するということです。 実際に指導してみて、心理学の立場から見ると、サダナのプログラムの中にカウンセリング、NLP(neuro linguistic program)、フォーカシング(Focusing)、グループセラピー(group therapy)などを使っていました。 そのほかデ・メロ師はゲシュタルト(gestalt)や他の心理学を自由にこなして開発し指導していました。サダナのなかには、プロゴフ(Progoff)のダイアリー・サダナ(intensive journal)も入れていました。
 受講者は楽しんで参加していましたが、彼の指導はときには優しく、ときには厳しいものでした。

デ・メロ師は1979年頃サダナを次の三つの段階に分割しました。

    *ミニ・サダナ(Mini-Sadhana) 一か月コース

    *ミディ・サダナ(Midi-Sadhana) 1 0週間コース

    *マキシ・サダナ(Maxi-Sadhana) 6か月分割実施

ミニ・サダナ

 このコースのある部分は祈りの体験でした。ベネディクトの祈り、イエスのみ名の祈り、想像力を使った祈り、感情に留まってするイグナチオの霊操の祈りなど、トニーの印象的な指導を体験しました。キリスト教の祈りのほかには、東洋の瞑想たとえばヴィパッサナの瞑想もプログラムのなかにありました。
 この体験は東洋の瞑想の影響を受けたキリスト教の祈りを上手に教えていました。 例えば、イグナチオの「三つの方法の祈り」の中の三番目(per anhelitos)を効果的に使っていました。
 心理学のレベルで考えると、無意識の世界に入り、エクササイズとゲームを使って忘れている過去に受けた心の傷から開放されるよう、導いていました。彼は1976年3月に、上石神井の黙想の家で日本管区会員40人のために、一週間のサダナ黙想会を開催しました。このときから日本でのサダナの歴史が始まりました。

ミディ・サダナ

 この受講者は、おもに修道者と司祭の霊的指導者、養成責任者、修練長、管区長の役目を果たした方々でした。参加者は男女24名でした。このコースは体験する場であり、自己を知全体として人間を統合(integration)するねらいがありました。受講者は体験に加えて他者を援助することができる結果となりました。
 このコースは、コミュニティビルディング(community building)のセッションで始まり、三週間のグループセラピー(group therapy)、カウンセリング、NLP(Neuro linguistic program)、フォーカシング(focusing)などの訓練も受けました。
 そのほか五日間のプロゴフのインテンシブジャーナル(Intensive Journal)も入り、沈黙のうちに自分の生涯を振り返って心の奥底の静けさを味わい、自分の感情と内的な動きに気づくという訓練を受けました。その結果、自分の気づかない心の傾き、過去の受けた心の傷から解放され、人間関係が自然によくなる等種々の効果がありました。

マキシ・サダナ

 ト二-の指導方法では、受講者は男女12名程度でした。参加資格はミディ・サダナコースを終了していることです。最初の一か月はミディ・サダナの方法を見直して、もっと上手に使うよう導かれました。 このコースの途中で新しいミデイ・サダナグループが始まり、マキシグループの受講者は実習としてミディグループの受講者を指導しました。
 例えば、NLPの方法を使ったり、相手を援助したりしました。これはミニ・サダナの体験を生かし、個人としての成長は勿論のこと、将来指導者として人々の成長を助長できるという目標がありました。このコースのなかで感慨深い事は、トニーの話を聞き、そのテーマについてト二-と共に話し合いをする事でした。
 このコースが終ってから、トニーの話は一番印象深く残っていました。 
トニーの話は東洋の霊性や心の解放等、彼の七つの著書でふれているテーマでした。彼のカリスマにふれることができました。
 大切な事は自分で自由に判断し決断するよう、導かれていました。受講者は自分の内的傾きや気づかない態度に気づくよう指導されました。彼は敏感であったので、相手に心の準備ができていない時は、無理をせず時期を待つという姿勢を貫いていました。時期がくれば厳しく指導していました。
(注)私がミディとマキシ・サダナコースを受講したとき(1979.1981.1986)コースの指導者(Directors)は3人のチームでした。彼らの名前は Jose Aizpun, Dick McHugh, Toni de Melloでした。

 

5)アント二-・デ・メロ師1987年帰天

 トニーは1987年春米国に渡り、二か月のサダナ研修を開催する予定でしたが、到着の翌日心臓発作で突然帰天しました。
 現在のロナブラ(Lonavla)のサダナ研究所は新しい建物となり、プログラムも大きく幅広くなっています。霊性と心理学を統合し学ぶというよりも、経験することによって霊的なリーダーを育成しています。デ・メロ師のカリスマを守り続けて導いています。
 サダナが誕生してから35年経過しました。最初から人間の感情と霊性の統合を強調し、またキリスト教的霊性とインドの霊性の統合も強調していました。今でもサダナの理想は、心理学的な統合と個人との一致によらなければ、養成責任者やカウンセラーの指導は難しいということです。ですから、現在のサダナ研究所はデ・メロ師のカリスマを守り続けたいという決意があると思います。