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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【36】サダナであぶり出されてくるもの

 私がサダナを最初に体験したのは、ある黙想会のほんの一部の時間を利用したものでした。それまでサダナがどんなものなのかまったく知りませんでしたが、まずは基本中の基本、姿勢を整え考えを追わずに鼻での空気の感じ取りに集中します。そして、体の部分の感じ取り。
 考えが次から次へとやってくることはよくわかっていたことなので、その点はあまり罪悪感はなかったのですが、体の部分の感じ取りはまったく感じ取れない部分もあり、少々驚いたことを覚えています。
 ただ、体の下(足など)に行くほど感じ取れるようになって、気分も楽になります。すぐに頭に血が上るタイプですので、そんな時はこれは普段でも意識を体の下の方へと意識することができれば、少しは落ち着くことがわかりました。(常にできるようにはなっていませんが・・・)
 そして「想像と祈り」ですが、美術館の想像を致しました。これは想像の間、なにかワクワクしたような気持になっていました。「像に入る」と言われたときはびっくりしました。「これに入るの?!」・・・・そして最後に「あなたはどこへ行きますか?」となりますが、このイメージは未だに私の気になるポイントとなっています。この時の分かち合いも素晴らしいものでした。自分自身も話している方の美術館に入って体験しているようでした。
また、別のサダナ(入門だったと思います)で、子供のころの楽しかった経験を再体験しましたが、この経験も印象に残り、しばしば心がそちらに向かいます。
 サダナで苦手な祈りもあります。一つの言葉や祈りを息に合わせて続けるものです。これは残念ながら想像の世界に入るほどの躍動感をまだ感じられません。

 今までに、「サダナⅠ」と「サダナII」、そして「自己を知る」を体験しました。まだまだ少ない体験ですが気づいたことをいくつかあげてみます。
――「自己を知る」は自分に組み込まれている「何か」を様々な方法で煮詰められていくようなプログラムです。まだ体験なさっていない方には是非お勧めしたいです。
――深く体験できたり、後になっても気になるポイントになる気がする体験は、自分の状態の良し悪しに必ずしも関わらないことです。これは不思議です。
――みんなで同じ時間、場所で一斉にやるわけですが、想像や祈りは一人きりでやっていくものです。水の中で円く集まり潜るのは自分の意志と行動、のような感じ。潜っていくのは一人きりですが周りの支えのようなものも感じます。誰かがよく潜れていたりすると(その時は誰かはわかりませんが分かち合いでわかったりする)、それを何となく感じてこちらも思い切りがよくなるのを感じられる時があります。これも不思議。
――泊りがけでのサダナでは、夜、神父様の講義というか、その時の質問や話題を広げていく時間がとられることがあります。これも自分の体験を客観的に把握するのにとても助けになります。

 だんだんと、「自分は創られたものだ」という感覚があぶり出されてくるという感じがあり、以前より少しは自分を責めなくて済むようになっています。「私の不出来は創った方の責任!」ということにしてしまえます。
 サダナの道を歩みながら、まだまだ道なかばです。これからも、皆様の支えをいただきつつ、前進が実ると幸いです。

(神奈川 40代 女性)

 

 

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