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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【31】歩行サダナを体験して

 歩き始める前に、頭を空っぽにすること、腰をしっかり構えること、まっすぐな姿勢だけれどリラックスすること、一足ごとに足の裏の感覚を感じ取ることなどの指導がありました。
 歩き始めると、足の裏に感覚がないこと、そのために度々ころびそうになること、体の各部の歪みと痛みがあることがはっきりしてきました。“来なければ良かった!”“交通事故の後遺症があるから・・・・”“私には出来ない”という否定的な思いが沢山出てきました。
 それでも、続けていると不快な汗が出て、いよいよ後悔と恨みがましいような気持ち(夫が行けと言ったから・・・・)が強くなったところで、休憩が入りました。
 また歩き、雑念や妄想で頭がいっぱいなのですが、左足裏にかすかに床を感じてきました。しかし度々よろめきます。車の運転のように少し前をみれば身体が安定するのではと思いましたので、半周程前を歩いていらっしゃる神父様の後ろ姿を一心に見つめました。半眼にして神父様のお姿だけを視界に入れ、歩行速度も神父様のそれに一致させて行きました。――すると、かなりの時の経過ののちに、(この日は4時間ほど歩きました)、頭が自分の思いを手放し、雑念が消えて、その代わりに調和的な、光のような暖かさで満たされているというような幸福感と満足感に包まれました。 
セッション終了後の分かち合いでは、「とてもよかったです。」と申し上げたと記憶しています。
 帰宅後、この体験が少しずつはっきりとしてきて、感謝の気持ちと疲れを感じてすぐに眠ってしまいました。翌朝目覚めた時に、満たされた深い眠りだったと実感しました。
 その後も自宅で歩行サダナを行っています。心の深まりのためにも良く、体調が上向くという恩恵を得ているからです。
 以上の体験から、自宅での歩行サダナは脳裡に残っている“歩行サダナをなさっている神父様”のあとに従います。自足ではおぼつかないのです。人は他者を頼り、神を頼るように創られているのだと思いました。また、神との関係を阻むものは私の思い(自己中心の自我)で、取り除くように努力さえすれば、明け渡せば、「神はいつもそこにいる」ということを、体験しました。

(神奈川 50代 女性)


 

 

 

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