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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【27】「自己を知る」に参加して

 「自己を知る」は、ゲームのような形で、グイグイと神様のところまで、ご指導してくださる神父様からご案内していただく気持ちです。
 「自己紹介」と「他者紹介」をそれぞれし合い、知り合ってゆき、理解を深めながら仲間意識を高め深めてゆく、そういう感じです。今回は、コミュニケーションのことと、怒りの感情のことが印象深いものでした。
 コミュニケーションとは、私自信が豊かになりつつ、かつ他人とともに育ち、神様からの賜物の共有という意味があるそうです。そういうことを知って参加者の皆様との出会いがただの偶然ではすまされない素晴らしいことだと知りました。そして思わずお一人お一人を眺めまわしてしまいました。
 また「怒り」の感情の勉強をしました。私が怒りだと思っていたことは実は怒りではなく私自身の内部の問題で、発端には得体のしれない感情が動きます。たとえば、「無視されてカチンと来た」とか「誤解されてひどくがっかりした」などと。そこから相手を責めて、いつの間にか怒りにし、更にその怒りを大きく膨らませていたのだということに気がつきました。
 この怒りの問題が解決されて身も心も軽くなった気がし、しばらくするとフツフツと喜びがわいてきました。
 これらのことから、怒りが生じたらその時は分からなくても必ず喜びに転化するはずだから、喜びを先取りしようと考えました。途中の様々な感情を省略して「怒り」から「喜び」へ変化させようと思いました。パウロの言う「いつも喜んでいなさい」の中身は、これかもしれないとの気がしました。
 神様の似姿に創られた私は実に光栄なことだと思いました。私の劣等感や自己嫌悪感が謙遜への道をもたらしてくれるなら、私の可能性はどんなに大きいかを知るに至りました。希望と励ましのお恵みというお土産つきの「自己を知る」の体験となり、大きな喜びでした。
 そして今、私は喜びのうちに、「では、私はこれからどうしたらよいのでしょうか?」「私は神様にどのようにお応えしたらよいのでしょうか?」と、神への道の前進について、思いめぐらします。

(東京 60代 女性)

 

 

 

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