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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【23】サダナに参加して

 2006年にサダナに参加したのですが、「祈り」がなかなか日常的に浸透していかない状況にありました。神さまのみ心は、私達の日常の中に現われているのに、私は自分の考えに囚われて祈り方を知りませんでした。
 私たちの日常は、多くの刺激で溢れ、仕事や人間関係のストレスも多々あります。 実は、これらの雑多な中に大切なメッセージも含まれていると思うのですが、これらを整理するのが下手な私は、知らず知らずに緊張し肩凝りになったり、イライラした否定的な感情を生じさせてしまうようです。
 2010年4月に、「日帰りサダナ」のお誘いを受けて、再び「サダナの祈り」の入り口に立たせて戴けたのは、幸いなことでした。
 目を閉じて呼吸に集中し深めて行くと、ザワザワしていた気持ちがシンと静かになり、こころが落ち着いてくることに「驚き」ます。
 深い呼吸のくりかえしは、静かさと自分の心身の状態を明らかにするように思います。肩凝りなどの辛いところを感じた時は、各部分に意識をとどまらせて楽になるのを待ちます。それから、家事や仕事の残りで片付かず焦っている時には、「イエスの御名の祈り」をゆっくりと唱えて助けてもらいます。そうすると、焦りが消えて、落ち着きを戴いて出来るように思えます。これは朝起きてから出掛けるまでの動作や行動に移る時「御名を唱えて冥想する」祈り方を教わりましたので、しています。
私たちが、生活の中で出会う困難な事は、人間関係にまつわることが多いものです。これらは整理されないと、後まで感情的に尾を引いたりします。
 2月の「日帰りサダナ」で体験した「想像の祈り」が実際の生活の中に、生かされて、とても助けられたことを、お伝えしたいです。そのテーマは、「人間関係の中のうまく行っていない人を取り上げて祈る」です。この中で、イエスは、そのそばにいらして、彼が私にしている態度に対して何も言われません。そして、振り返って私を見ました。そのまなざしは、このように語られているようでした。「彼がお前にすることを私は止められない。私は彼をお前の人生の中に置いた。お前は私とともにいるのだから」と。この納得できるような、できないようなイエスの言葉を思い返していた数日後、職場で彼の部下と考えの違いからぶつかるという事件が起こりました。暗に職場を去ることが求められているようでしたし、それが最もすっきりする解決法でした。しかし、そう簡単には行かない事情も一方にはあって、まだまだこのジレンマの中を進まなければならないらしいのです。この宿題の終わりはいつなのか? 分かりません。しかし、不思議と彼やその部下に対する私自身の悪感情から、幾分解放されているようなのです。
主イエズス、感謝いたします。        (神奈川 60代 女性)

 

 

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