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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【22】日常でのサダナ

 初めてサダナで瞑想を体験したとき、私はこれだ!と思いました。不安にとらわれ、マイナス思考に陥りやすい傾向が悩みでした。安らいですごせたらどんなに良いだろうと願っていた…その平安が、神父様の導入に従って瞑想に入りますと、やってきたのです。
 今までも瞑想の手ほどきを受けた事がありますが、いざ一人で試みると、雑念が入ってきて集中できず、難しいのでした。ところが、<ヴィバサナ>…自分の身体の各部位を意識していく瞑想…をしますと、いつもの雑念から解放され、真の自分の深みに入れるようで嬉しく、その快さに、家でもしていきたいと思いました。
 毎日時間を決めて、神父さまがいわれたように、頭から、肩、腕、身体の中心部…と、意識を移していきますと、そのとき実際に起きている苦しいこと、気がかりなことから解放されるようで、落ち着くのでした。
 サダナは「神への道」という意味とうかがっていましたので、―<神さまに行く道になりますように。>-と願って入ります。タイマーを30分にセットして始めたのですが、途中で集中できなくなるようで、20分にしてみますとうまくいきました。けれども次に続けて聖書に入りますと、そこで集中が途切れてしまうようで、今度は15分間ヴィバサナをしてから、聖書に入るようにしましたら、うまくいくようになりました。
このやり方ですと、聖書の世界に今までよりずっと臨場感を持って、入れるようになった気がします。
 長いこと、イェズスさまは頭のなかの存在でいらしたようで、親しくさせていただく方法がわからず、ずっとずっと求めていました。サダナに出会って、イェズスさまは、身近な、なんというか身にしみて感じる存在になってこられました。私はそれがとても嬉しいのです。今では、家で<ヴィバサナと聖書をする時間>がかけがえのない大切なときとなりました。(自分のこの変化に驚いています。)
 サダナの時間をもつようになって、私は以前より、落着いて物事を受け入れ、人との関わりも深みをましたように思われ、しみじみ嬉しく感謝しています。
 神父さまがご指導くださる合宿のサダナは、力強く、至福のとき、恵みのとき、憧れですが、日常での私はこのようにして、サダナの恩恵をいただいています。サダナに出会い、導いていただいたことを、心から感謝せずにいられません。
(神奈川県 60代 女性)

 

 

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