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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【19】サダナは私を変容する

 私のサダナとの出会いは10数年前である。当時私は仕事がおもしろく、よい仕事をしたいために、業務を全部頭に入れるという自分を作り上げていた。そのために、道を歩いていても、食事をしていても、ふと仕事が頭をよぎる――「あそこを確認しておかなければいけない」と。そんな自分に嫌気がさし、相談した司祭はサダナを勧めた。『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』を読みはしたが、何もわからず参加した「サダナⅠ」。私は博物館のエクササイズで強烈な体験をした。私は整然とした部屋の真ん中に立つ“ローマ戦士”だった。「私はあなたを殺したの?」、イエスにそう尋ねずにはおれなかった。イエスの答えは想像にまかせよう。私はこのエクササイズの中で泣いた、それは自分の内にある――たぶん意識していなかった――闇・壁が崩れ去った時であった。その後たびたび参加し、「サダナ」と親しんできたが、諸々の事情で足が遠のいていた。
 今回久しぶりに参加の機会を得た2010年の「サダナⅡ」。何の違和感もなく溶け込むことができる不思議な世界だ。その体験を少し紹介したい。
 「自分の葬儀」のエクササイズで、司祭の説教を聞く。葬儀なのだからほめ言葉なのだが、その内容をまあ容認することができる――そう、以前の私は受け入れることができなかった。納骨を墓地の上から見る、どうしても好きになれない人、色眼鏡でみていた方々が参列してくださっている。自分の偏見、心の狭さを恥ずかしく思い「こんな私にありがとう」と感謝の言葉しかない。もの事には時がある、もっと早く出会っていれば・・・・私はもっとうまく生きただろうと思うかもしれない。しかしこのようにしか出会わず、気づくことのできなかった私は、自分の生涯を振り返り、まあまあ許せる範囲だと思える、「100ではないが、これが私です」と言える。これもまた「サダナ」の恵みである。
 もう1つの体験は、心の暗闇に入り、そこで火種を見つけるというエクササイズ。リードの声に従って、小石を投げ入れた湖にゆっくりと波紋が広がっていくように、この小さな火種は周囲に、町に、世界に、宇宙へと、徐々に大きくなる神を称える歌声とともに広がっていった。この小さな私は神の命に生かされている、そう確信できるときであった。
 日常生活に戻って、ごミサの前に五感で祈ってみる、私は自分のプログラムを持っていて、それを変えることには抵抗があるのだが。するとごミサをより深く味わっていることにはっきりと気づかされる。それはまた「サダナ」の恵みである。気付かないうちに、 私は変容されていく!!
 ご指導してくださった神父様、お世話してくださったシスター方、共に集った仲間に感謝し、自分を見つめ、変容させてくれる「サダナ」に人々が親しむことを祈りながら・・・・ありがとうございました。                 (兵庫 50代 女性)

 

 

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