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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【17】本当の私

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 今までの私は、「サダナ黙想」や「自己を知る」のエクササイズの導きによって、数々の困難を自分なりに乗り越えることができてきました。何度となく遭遇する困難・試練を通して、数え切れないほどの欠点に気づかされることはもちろん、自分の中に見出した創造主から授かった良いものに励まされ、希望とともに前向きに生きる力を頂いてきました。信仰に支えられて生きることに感謝し、キリスト者として少しでも成長していると思える自分に何かしら満ち足りたものを感じていました。
 ところが今、私は新たな危機に直面し、闇の中に埋没しています。闇は、孤独そのもので、不安と迷いが追討ちをかけ、受け入れたくない、逃げ出したい、居たたまれないと、あがけばあがくほど、ますます深みに落ちていきます。ついには、暗闇の真っ只中にいて膝を抱え顔を伏せて、意に染まない危機的状況を強引に遮断している私がいます。 
その一方で、こんなはずではない、私はクリスチャンだ、どんなときも希望を失わずがんばってきたはずなのに…と、この闇にいる自分を打ち消す自分がいます。デ・メロ神父様の言われる「過去も未来も心の構築物、心の構築物の中に生きるのは、今、この状況に対して死ぬこと(『心の泉』「あがない」)」は、私のもっとも好きなセンテンスです。繰り返し黙想し、何度「今を生きる」と、言い聞かせ立ち直ったことでしょう。しかし今の私は、今を生きねばと言いつつ、現実の中に生きていない自分です。闇の中にいる自分も、闇に抗う自分も認めない私です。まさに「現実」と向き合えない、「現実に弱い私」です。この危機を現実として身体中で捉えていない私です。
 本当の自分は、現実に弱い!私だ、と、ようやく気づき始め、闇の中で困頓する私を徐々に認め始めて、かろうじて、ただひとつ確信したことがあります。「イエズスに見捨てられてはいない」という思いです。私は決して一人ではないということなのでしょう。目に見えない存在に寄り添われている私が少しずつ見えてきました。すべてに背を向けて闇の中を生きる私にさえイエズスは、ともにいてくださるという感覚を今、感じつつあります。何か今までとは違う手ごたえのようなもので新しい感覚です。暗闇の中の私は、あまりの漆黒にたじろぎ、自ら手探りで、イエズス・キリストを探し、触れ、感じることをしていなかっただけなのです。闇にいる自分を認めなければ、この闇にともに佇んでおられるイエズスに出会うこともなかったでしょう。まだまだ当分抜け出せそうにない長い暗闇の道のような気がしますが、この闇の現実に踏みとどまって、そこにイエズス・キリストを感じ取っていきたいと祈る気持ちがこみ上げてきました。大きく深呼吸して体勢を整えてみましょう。注意深く、忍耐強く、平静に、光が差し込むときを待つことができますように。
(山口 50代 女性)

 

 

 

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