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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【15】サダナ・私の美術館

 2010年6月4日(金)から7日(月)までの3泊4日、沖縄で初めてのサダナが与那原修道院で催されました。私がアントニー・デ・メロ神父の本に出会ってまだ日も浅く、真新しい不思議な霊性に魅了されているところに、丁度グッドタイミングでサダナに参加する事が出来ました。
 ところで、サダナの初日は参加した仲間のほとんどが「サダナって何?瞑想と黙想の違いもよく解らないけれど、これから何が始まるのかしら」と子どものように胸がわくわくしました。
 円座になって目を閉じて、体をリラックスさせながら自分の体を頭の先から足先までゆっくりと忍耐強く丁寧に意識を廻らせていきました。約20分の間、これが私の体?肉体と霊性のふたりの私を行きかいながら、何かがゆっくりと解きほぐされていく柔らかな心地良いひと時を体験しました。母の胎内にもどったような、なつかしく温かい霊性に包み込まれているような記憶がよみがえってきて、ふと手足を見るとほっかりと赤くなっていました。
 サダナのプログラムには様々な瞑想があり、その中で、幼い頃のたのしい思い出を思い起こしていく中で幼い私は鮮やかによみがえり今の私を楽しませてくれました。また、美術館の瞑想ではイエス様に出会うという至福の体験をしました。
 美術館の瞑想は私の心の中で一冊の絵本となりました。ちょっとだけ開いてお見せしましょう。
 初夏の緑が柔らかい5月の昼下がり、初めて訪れる美術館を探して街中のビル外の一角でやっと見つけました。梅雨を含んだ曇り空に巨人のように建物は雄雄しくたっていました。平日のせいか来館者も少なく、静かに中に入って有名な美術品が陳列されている部屋をいくつか通り越して、小さな小部屋に私の等身大のブロンズ像はありました。窓辺近くに位置し、木馬に跨った少女は5~6歳の頃の私でした。その木馬は初孫の為に祖父が作って船で送ってくれた珍しいプレゼントでした。私の魂はブロンズの中に入り、幼い頃のように木馬を得意げにゆらしはじめました。
 そこへイエス様が近づいて来られました。イエス様は白いドレープのシャツにこげ茶色のズボンを着て背が高く、目はグレーに近いブルーでした。柔らかい髪はあご髭の長さで柔らかに波打っていました。しばらく私を見つめて「みどり」と私の名を呼びました。西洋人のなまりがありました。
 お父さんのように親しく私の名を呼んでもらった私はとても嬉しくなって、もっと大きく木馬をこいでみせました。しばらくするとイエス様は見えなくなっていました。
ブロンズ像から外に出た私は、いつもの私の姿に戻りましたが、心は幸せでいっぱいでした。
 サダナの瞑想を通して、誕生から今日まで記憶の彼方に置き去りにしたもう一人の私が鮮やかによみがえってきました。蘇った記憶は今の私を何かしら変えて行くというとても不思議な体験をしました。これまで私は人々から様々な影響を受けて生きてきましたが、私が私から影響を受けて変わっていく実体験は全く初めてでとても驚きました。新たな心の目で徐々に客観的に自分を観る事ができて、外側の自分から内側の自分へ近づいている心地良さに気がつきました。
 神様は私の外ではなく、私の内なる心深い静かなところに住まわれているのですね。 (沖縄 60代 女性)

 

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