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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【10】サダナに参加して-2

  私は東海地方に住む未信仰者で高齢の男性です。 4年ほど前、知り合いの シスターに薦められて、2006年初夏 「サダナⅠ」に参加しました。これは私にとっては、初めての経験でしたから正直戸惑いました。
 どちらかと言うと信仰心の薄い私が、一体この集会でその目的が得 られるのかどうか疑心暗鬼でした。そもそも、会について、何を、どのように行うのかの予備知識を全く持ち合わせていなかったのです。また、信仰を持たない人間が素直にこの種のものに馴染めるだろうか、そして受け入れて行けるだろうか、という懸念がありました。
 しかし、初めの途惑いはすぐに消え失せ、精神統一状態を作り出しながら、次々に経験する事象は、ラフォント神父様の導きでごく自然に自分の内面を引き出せたように思いました。
 未体験の黙想を繰り返し実行しているうちに、長い間現実の世界のみに重心を置いて生活していた自分が、感覚の世界から意識することなく心の世界に入って行けたように思います。今まで、自分の過去の体験の記憶を「回想」するなどということは殆どありませんでしたが、黙想することによって、素直に自分を見つめることが出来たのだと思います。(体から心にという感覚でしょうか? うまく表現できませんが「内面を引き出した」とは、単なる記憶の回想だったのかも知れません。また、神への憧れというものは感じませんでした。)
 そして再び2008年夏「サダナⅡ」に家内とともに参加する機会を得ました。「サダナⅡ」は「サダナⅠ」で体験した内容を、より一層深めた領域を体験出来たと思っています。
 2回の参加を通じて得たものは、それまで経験出来なかった自分の内面を見つめる術を、知りえたことではないかと思っています。有難かったです。
 サダナに参加して「黙想」という術を知りました。それは体「五感」を「心」に導いて意識、無意識の中で自分の内面の「醜さ」「良心など」を覗き見出来たことです。これはすでに霊の領域なのでしょうか? (今の私は、そこで起こった現象が信仰的な領域なのかそれとも、それを超えた心理変化の中で起こったのかはよく判らない段階です。)      (静岡 80代 男性)

 

 

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