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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【7】ハイジの海中散歩

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 イエス様の憐れみで、サダナの黙想に出会わせていただきました。生きて働かれる神様、聖霊なる神様…。当時の私はそれを体験したいと強く願っていました。そして黙想に導かれ、サダナにたどりつきました。
 参加をするたびに、心が軽くなっていき、喜びが湧いてきて、心がほぐれていくのを感じました。何よりも黙想がとても慕わしい存在になりました。
 心待ちにして参加した今回は「自己を知る」。これは、サダナの5段階の1段階目にあたるとのことです。今まで、順序を考えないでサダナⅠやサダナⅡに何度か参加していましたので、最初は、今さら必要のない学びだったのかしらと思いました。ところがとんでもない。順番や参加者は、すべて聖霊なる神様の御手によることで、間違いや無駄は決してありません。
 今回のテーマはヨハネ21章の「沖へこぎ出せ」から「心の制限を取り除く」と神父様が説明されました。私は、まじめ、融通がきかないとの自覚がありましたので早くも期待でワクワクしました。今回は、人数は少なめでしたが内容はとても盛りだくさんで、心を開いたお互いの底には、強い一致が流れ、深い学びが続きました。

 舟と波と風の会話のセッションの時です。
 目を閉じて神父様の導きを聞いた途端、波打ち際の砂の上に女の子の裸足が見えました。それはTVのアニメの「アルプスの少女ハイジ」です。波との会話もそこそこに、舟はハイジを乗せて海に滑り出していきました。太陽を反射させてキラキラ輝く波。静かに沖へ進んで行く舟。ゆったりした時が流れました。
 そのうち、ハイジは海の中にいて、色鮮やかな珍しい魚たちと遊んだり、揺らめく海草の中を泳いでいます。海底の白い砂の上の色々な貝殻を見たり、触ったり、あちらこちらと泳ぎまわり、時には鮫の背中に乗って薄暗い海底の方に行ったり、マンタの背中に乗ったりしています。疲れたら舟に戻って休み、また海に潜って魚たちと遊びます。夜になれば月が優しく照らす舟の中で眠ります。小島にたどり着いた時には、そこで実っているおいしい果物を食べます。翌日、舟はまた海に滑り出していきます。風が優しく舟を運んでくれます。果てしなく続きそうな舟の旅です。
 セッションの最中は、神父様の「舟と波の会話はどうですか?」「風と舟の会話では何を話していますか?」との導きの言葉が遠くに聞こえていました。少しだけ会話はするのですが、いつの間にか、ハイジの自由に動き回る姿に心を奪われて、楽しくて仕方がありませんでした。
 分ち合いで、神父様が “のびやか”また、“波にならない条件無視”の面もあり、これは反動的極端かも知れないと評価されました。即座に「ハイ!とっても楽しかったです!」とケロっと答えている自分に内心驚きました。
 私は、身近に支配的な人間がいて、摩擦を避け平和な関係でいるために自分を抑えることが心に滲みついていました。また、他人の評価に振り回されていたこともありました。質問でもされたりしたら、どんな答えを要求されているのだろうと反射的に考えて、求めに応じた答えを探る癖がありました。ですから本来なら、神父様の導きに沿うようにと、素直に合わせていくのが私でした。けれども、今回は、枠がぶっ飛んでしまっていました。そしてセッション(ルール無視?)がこれほど楽しかったと感じたのも珍しいことでした。
 サダナは、帰ってきてから、時がたってからも気づかされることがあります。
 ハイジは、体の不自由なクララの為に、本来の自分の気持ちを抑えて、頑張って、頑張って、頑張って、心を病みます。このハイジは心を抑えてきた私そのものでした。私は、自然体で自由でいたとばかり思っていましたが、私の中のハイジは「違うよ」と叫んでいたのです。そのハイジを優しく抱きしめて、まことの自由への道を歩んで行きたいと思います。
(東京 60代 女性)

 

 

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