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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【5】私のサダナ

 私は宝塚の御受難修道会で2008年、サダナIIに参加しました。
 サダナIIでは、過去の悲しい体験に戻る、という黙想をします。神父様の言葉に従って心を静めました。しばらくすると、老齢に達した父が証券会社に騙され、財産のほぼ全てを失ってしまった時のことが頭に思い浮かんできました。家族全員で一生懸命説得するのですが、家族の声には耳を向けようともせず、明らかに父を騙そうとしている証券マンを父は信じました。なんとも言えないやるせない気持ちになったのを思い出しました。
 神父様の言葉に導かれて、そこにイエス様が入ってこられる様子を想像しました。イエス様は、座っている父の背後に立ち、父の肩に手を当てて、慈しむようなまなざしでじっと父を見守っておられました。イエス様が父の側にいる。それは私にとっては驚きでした。
 私はイエス様に尋ねました。「どうして父は家族に耳を傾けず、このペテン師を信じるのですか」と。するとイエス様はお答えになりました。「これが家族が彼にしてきたことだ。」そう、私たちは父の言葉を真剣には聞いていなかったのです。父は家族と共に暮らしながら、孤独であったのでした。
 そのことに気付いた私は悲しくなりました。涙がこぼれ、私はイエス様に尋ねました。「父は孤独のうちに人生を終えたのですか?」イエス様は答えられました。「あなたの結婚式を彼がとても喜んだことはあなたも知っているだろう。(朝鮮の民族衣装のチョゴリ姿で結婚式をしたことを父はとても喜び、式の数日後に急逝しました。)彼は喜びのうちに生涯を閉じた。何事も良いことのために起こる。」
 この一連の考えが私の深層心理にあったとは考えにくく、シスターにそのことをお話すると、神様のお働きがあったのだ、と仰ってくださいました。
 サダナに参加すると心の底から満ち足りた気持ちになります。「何事も良いことのために起こる」というイエス様の言葉は、日常の生活の中でも折に触れて思い出しています。(兵庫 40代 女性)

 

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