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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

私のサダナ記念日

【4】サダナを体験して

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 前庭に青々と芝が生えそろっていて、石造りで茶色がかっていて、ミロのビーナスとか帝王とか歴代君主のブロンズ像が陳列されている大きな美術館の部屋の真中で、台座の上で左足を曲げ、右足を踏ん張り、上方に向って弓矢を射る格好で、鎧をまとい、いたけだかな姿で、とても良く出来た作品なので、大いに気に入ったものでした。とにかく偉くなったような、うきうきするような気持ちで、その像の中に私は入っているのです。その像そのものが私自身なのです。「あ!イエス様だ」と気付いた時、子どもが叱られたときのように小さくなり、これはまずいと思い、台座から崩れ落ちるようにあわてて降りました。
 イエス様の前に台座から降りて、ひざまずき、頭を垂れて小さくなっていました。イエス様がかたわらにこられて、「そのままでいいんだよ。」と慰めの声を掛けてくださいました。
 以上はサダナのあるセッションで神父様に導かれて、心に浮かんだ私のイメージです。何回かの参加によって、それまで知りませんでした、呼吸、感覚、身体を使っての導入方法等、色々な方法を教えていただいての結果、イエス様と神様とお会いできる、お話できる、お言葉がいただける機会に恵まれ、心に愁いを感じると再びサダナに参加するようになっております。それまでは、神様に会いたくて、神様のお声を聴きたくて祈り続けていましたが、全くといっていいほどお返事が何もなく、祈ることの難しさを痛感していました。確かに、自分の願いは申し出ることが出来るのですが、それだけでは、何か自分勝手さが前面に出てしまい神様に対して申し訳ないというか、何か白々しさを感じてしまっていたのでした。しかし、サダナに出会ってからは違うのです。神父様の導きによって、沈黙しているだけで、自分の心の一番深い場所に到達でき、心は静まり、落ち着くというか安定するというか、そんな感じになるのです。
 祈りを深め、神様との出会いと心の解放を求めて、今後も継続して参加したいと思っております。(長野 60代 男性)

 

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