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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

【2】サダナのお恵み

 み言葉が立証されているのです。
サダナⅠ、日帰りサダナ、サダナⅡと参加させていただき、その度に、さまざまな気付きの恵みを授かっていますが、今回は、やっと日程の調整がつき、何年か越しの願いが叶ったサダナⅡの体験について書かせていただきます。
 サダナⅡの幾つかのエクササイズの中でも特に心に残っているのが、昔の悲しく辛い体験を具体的にくっきりと想い起こし、その情景の中にイエス様が訪れてくださるというものです。ガイド役をなさってくださる神父様が、イエス様の訪れを告げたときには、「サダナは、こんなところにイエス様を登場させるのか」と、心の中で感嘆の声をあげていました。私の悲しく辛い体験は、キリスト者になる前の体験であったので、特にそのように感じたのかもしれません。砂浜に残る二人の足跡の詩ではありませんが、世界から孤立し、孤独のうちに悲しく辛い体験をしていたので、すぐ傍らに居てくださるイエス様の存在は、言葉では言い尽くせないものでした。「悲しみの中にこそ、イエス様が居る。私のイエス様とはこれだ!」と思いました。「力は弱さの中でこそ十分に…」(2コリ12:9)という言葉が実感を持って理解できました。
 そしてまた、サダナのお恵みは、個人的なエクササイズの中にだけあるのではありません。エクササイズの後で行われる、「分かち合い」の中にも有り余るお恵みがあります。自分では思いもよらない観点や感性からの話がされます。このエクササイズの例で言えば、私の体験などは問題とならないほどの悲しく辛い体験をなさっている方が居られ、その方がこのエクササイズによって確実に癒されているのです。そこに明確に聖霊が働いているのが見て取られるのです。まさに、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、…」(マタ18:20)という言葉が実証されているのです。 (神奈川 50代 男性)

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