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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

体(呼吸)と祈り

【15】舌の感覚の世界に深まる

  冥想のために、味覚の領域に入ることは、正道を踏み外し易い困難もあります。味覚に対しての人の愛着は、とても強く、冥想するよりも、その楽しみに心を奪われがちだからです。
 けれども、「行」を積み重ねるプロセスにおいて、この感覚領域を除外することは避けるべきです。
 味覚の感覚を、はじめは、自然そのままの飲食物についての感覚から感じ取りましょう。水に、味があります。都会での水はあいにく、薬品の味も交じります。銘水と称される水ならば、さすがに、ほのかな甘みとか、ミネラルふうの奥行きある味を楽しめます。
 人間が調理や加工をせずに舌に載せるのは、果実や野菜です。人は、なんと多くの果実と野菜の味を味わえることでしょう。
 伝統的な、みかん、りんご、桃、梨、柿、・・・・・。最近は、その一種一種において、品種改良されたところから、同種の中にもさまざまな差異を味わえます。甘さ、酸度、しぶみ、硬さ柔らかさ、みずみずしさ、水分の多寡。舌に載る食材の味覚的感覚に深く踏み込みましょう。
 伝統的な野菜を口に入れて味わうことも、人を感覚世界の広さと深さへと誘います。きゅうり、なす、大根、ねぎ、トマト、にんじん、しょうが、しそ、みつば、さつまいも、じゃがいも。それぞれなんと、個性的なことでしょう。しかも、果実の場合と同様、おのおのの種類の中でも、また、微妙な差異がさまざまな広がりを見せます。
 海からの幸を、日本では自然のまま舌に載せることが、幅広く継承されています。何ら人工的な調理の手を加えずに、味わう道がいろいろ存在します。魚、貝、藻類。
 さらに、食材が調理されると、味覚の感覚世界は、いっそう広がります。いわゆる調味料が加えられて、素材自体の味に組み合わされて、いっそう味覚の世界を広げます。この調理されて導き出される味覚は、それを数え上げようとすれば作業は、果てることが無いでしょう。
 舌が感じる感覚も、「わかりきっている」というのは、錯覚です。そこに広がる感覚を、どこまでもどこまでも、追いかけて感じ取ってみましょう。
 その広がりと深みに入ることによって、人が生きる世界の広がりと深みに、あらためて驚嘆しますし、畏敬の念さえ湧きます。

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