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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

【11】自分の人生史を見つめて祈る―2(試練の体験の面)

 今まで歩んで来た自分の歴史には、数々の試練がありました。小さな試練も、大きな試練もありました。
 小さな試練の数々。――具体的に見つめなしてみましょう。
 健康面の弱点ゆえに、寝床にとどまることを余儀なくされた時。
 周りの人から、胸に突き刺さる言葉が飛んで来た時。
 背負うのにやや骨の折れる仕事をやり遂げねばならなかった時。
 その辛い試練を、がんばりの心で、乗り越えました。そこから、忍耐強くなりました。謙そんさが増しました。周りのことを見る目が広さ深さを獲得しました。自分が、自己養成しようとしてみても、盲点になってしまう部分を、神様がはからわれたのを感じます。そして、そのような試練を乗り越えるたびに、自分はそれ以前よりも豊かさや大きさを増しました。神様は、試練をくぐるように計画され、それを通して私を育ててくださっている、まことに「父」でおられると解ります。
 大きな試練に目を移してみましょう。
 人によっては、最も大きな試練のことは、目を向けることを避けたいかもしれません。ともかく、目を向けることのできる、大きなものをじっと見つめてみましょう。その体験の当時には、「神様、あなたはこれほどもお求めになるのですか?」「これほどですか?」「神様あんまりです」と申し上げた日々。その暗鬱で絶望を呼ぶような日々。けれども、神様を呼ぶことはできました。神様を呼ぶことばは、平常時よりも、むしろ切実で深みがありました。
 大きな試練からは、救い出されました。
 神様を呼ぶことが、切実であったことが良かった!
 振り返る今ですから、当時よりも、事態が見通せます。自分のこともよく解ります。あの試練のときに、ひどく苦しんだのは、自分の心の方に問題があった面が大きい。・・・・「私は背伸びし過ぎていた」「私は人生に必要なこと以上を望んでいた」「私の欲求はゆがんでいた」「神様を思うことが少な過ぎた」
 今、自分ははっきり解ります。――あの試練があって、初めて、私の成熟のある面が達成された。――あの試練が無ければ、私の成熟のこの面は、いつまでも未達成のままだった。――私の心は以前よりも地道に前進を目指すようになった。――私の心は、以前よりも現実を正しく捉えるようになった。――私は謙そんさで進歩できた。――そして何よりも、神様のことを以前よりも大切にできるようになった。「実を結ぶものはすべて、もっと豊かに実を結ぶように、父がきれいに刈り込まれる」(ヨハネ15:2)ということであったと、今は解ります。
 人生に試練が来ることの理由や意味は解り尽くせません。けれども、今振り返るとき、自分に盲点があって縛られてしまうことから、神様が解放してくださったと、解り大きな感謝が湧きます。あの苦しみは、それが無ければ自分は、神様に近づく道で道草が多すぎました。たしかに、試練をくぐることで、神様をいっそう大切にできるようになったのです。
 自分の人生史の試練の面を、おそれずひるまず直視しましょう。そして、そのドラマに組み込まれていた“神様向きの進歩”について、神様と対話しましょう。そして、感謝しましょう。

 

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