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サダナ東洋の瞑想とキリスト者の祈り

【8】名曲で祈る――ある信徒による祈り(実例)  

 窓を開けて、初夏の日差しと風がそっと入ってきている部屋で、コラール「主よ、人の望みの喜びよ」(J.S.バッハ:”カンタータ第147番 BWV147”より)に耳を傾けてみます。
 どこからか、優しい囁きが聞こえてきます。
「私は、あなたが悩んでいるときも、苦しんでいるときも、病気のときも、いつも、いつも、あなたの側にいます」。
 音楽を通して聞こえてくる声は、いつも人と共に歩んでおられる方からのようです。
その方に話かけてみましょう。「あなたは、どなたですか?」と。きっと答えが聞こえてきます。「あなたが寝ていても起きていても、いつも私はあなたと共にいる」と。

 四旬節にラジオを聴いていると、エレミヤ哀歌を謡ったフランソワ・クープラン「聖水曜日のための3つのルソン・ド・テネブル」が聞こえてきました。各ルソンの最後に「ああ、エルサレム、ああ、エルサレム」と、荒廃したエルサレムへの嘆きが謡われます。
 イエスは、ベタニヤからエルサレムへの道を通られて御受難に向かわれています。丘の上でエルサレムの神殿が光り輝いて見えました。イエスは、その神殿と街を眺められて、「ああ、エルサレム、エルサレム‥‥」と涙を流されました(ルカ13:34、19:41)。ゴルゴダの丘に引かれて行かれるとき、「エルサレムの娘達よ、私のために泣くな。むしろあなた方自身のために、また自分の子供達のために泣きなさい」(ルカ23:28)と回心を告げられました。
 復活祭では、フランソワ・クープラン「復活祭のためのモテット:勝利なり,よみがえりたまいしキリストに」が謡われます。「‥‥アレルヤ、アレルヤ!」の歌声に、「主、まことによみがえりたまえり!」と、私の中で声が聞こえます。 
さあ、歩み出しましょう、新たな出会いに向かって!

[追憶]
 もう30年前になる。私は、病気や人間関係の疲れから何かにすがりたい思いを抱いて世界平和記念聖堂に向かった。その日は、オルガン定期演奏会だった。コラール「主よ、人の望みの喜びよ」(J.S.バッハ:”カンタータ第147番 BWV147”より)が演奏された。ドイツ語と日本語訳の歌詞を演奏にあわせて目で追っていると「‥‥私は、あなたが病めるときも、悩めるときも、いつもあなたと共にいる‥‥」と書かれていた。それは確かだった。徐々に涙が溢れてきた。「ああ、どのようなときにも私の側に、神が!」小さく嗚咽していた。演奏が終わって、同じ歌詞のところを見返してみた。そこには、「‥‥私はイエスをもっています。イエスは私を愛し、私にご自身を与えて下さるのです。‥‥」とは、あったが、「‥‥私はいつもあなたと共にいる‥‥」とは書かれていなかった。何度見ても間違いなかった。あの音楽を聴いていたとき、この目で見たあの言葉は確かに、「‥‥私は、あなたが病めるときも、悩めるときも、いつもあなたと共にいる‥‥」とあったのに‥‥。
私は、次の年の復活祭に洗礼を受けた。

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