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習熟する(1)【尊いイエス様イメージ】

「想像力」を活用して祈りを重ねる流れから

いくつかの尊いイエス様イメージが、心の奥に蓄えられます。

すでに、上に提出した祈り方のうち、福音を題材とする祈り方からも、自分の人生の体験場面にイエス様が来られる場合からも、極めて尊いイエス様像を得ます。

このイエス様像は、自分の心の在り方にぴったり寄り添ってくれます。
寄り添って私の心が求めることに、きわめてよく応えてくれます。

祈りの中で形作られたイメージです。
大事な折りに、浮かび出て自分を慰め、励ましてくれます。
こうして自分がイエス様とますます親密になったことを体験できます。
暮らしの中で

  • 選びの場面で、どういう方向を選ぶべきか
  • 心がしんどいので励ましが欲しい
  • 祈りがうまく進まないのでどうしようか

このような時に、イエス様像が大いに助けになります。

このような時に、イエス様像が大いに助けになります。
書き方があまり抽象的なままで終わらないよう、筆者自身の一つの大事なイエス様像を例に示しておきましょう。

私は、仕事の関係で理不尽な処遇を受けたことがあります。
その体験が起こってしまった現場は、大きな建物の長い直線の廊下の端のところでした。
自分の歴史の中にイエスが来られる(2)に掲げられている冥想をした際に、私には、次のようなイエス様像が得られました。
それは、先輩司祭が私の相談を親切に受け止めてくれたそのポーズに似たイエス様でした。
この自分の歴史の中にイエスが来られる(2)の冥想を私は時々行います。
その積み重ねによって辛い心になったとき、私がイエス様にそれを訴えるとイエス様はすぐにそのポーズになって私の脇に立ち、

  • 「ちょっと一緒に廊下を歩こうか・・・・」
  • 「どういう事があったのか、話してご覧なさい・・・・」

と、私とともに廊下を往き来してくださるのです。
かすかに背中を丸め、両手は腰の後ろで軽く握ってゆっくり歩かれるのです。
静かにそっとやさしく、私の歩調に合わせ私に寄り添い、よく耳を傾けてくださいます。

このような「像」を得ることが、祈りの道の最終ゴールなのではありません。
祈りの道のゴールは、霊でおられる神様との深い一致ということです。
ところが、霊でおられる神様を五官で捉えることはできません。
その神様が近づいて(ほんとうは、「神様が私を引き寄せて」)くださいます。
その神様の「私へのお働き」を感じることはできます。
神様の「私へのお働き」が、上述のようなイメージにいかにもぴったりなのです。
そのイメージを生き生きと感じ取るとき、神様の「お働き」を生き生きと感じ取る大きな助けになるのです。